わんこと錬金術師 番外










「ハボ、お手」
唐突に突き出された手に、ハボック――職務中につき人型――は首を捻った。
例えば、この台詞が上司兼飼い主であるロイのものであったなら”ああ、またか”程度で済むのだが。
目の前の人物はロイではなく、自分の同僚のハイマンス・ブレダ少尉で。
「何のつもりだよ?」
冗談なら笑えねぇぞ。
そう言って軽く睨み付けてみせたが、手を出した当人は気にした様子もない。
更に、
「お手」
と、出される手は明らかにからかいの色を含んでいる。
「だから…」
低く唸って抗議しようとしたハボックの視界にひょいと取り出されたのは四角い箱。
煙草、しかも1カートン分だ。
思わず静止しそれを見詰めるハボックの様子に、ブレダはにやりと笑って再度手を差し出した。
「これやるからお手」










「で、素直にお手しちまったと…」
ヒューズの呆れたような声音と視線を受け、ハボックは困ったように笑ってみせた。
「お手だけで貰えるなら安いもんだと思ったんですよ…」
言い訳にもならないと分かりつつ一応そう答えて、それから溜息をつく。
その視界には恐ろしい形相で自分を睨み付ける飼い主――もちろんロイだ――の姿がある。
「嫉妬深いお前さんの飼い主様が拗ねるの分かってんだろうが」
「現物を目の前でチラつかされたらつい」
そう言って、ハボックは銜えていた煙草を灰皿に押し付け、新しいものを取り出す。
「大体いつも吸ってるやつと違うだろうが」
指された彼の手の煙草はブレダから”お手”の代価に貰ったもので、確かに普段のそれとは違うものだ。
煙草嫌いな人間ならどちらでも同じ事だろうが、精神安定剤として常用するハボックには少し軽すぎる感がある。
「ま、煙草代って馬鹿にならないっスからね」
タダで貰えるならそれに越したことはないですよ。
そう苦笑する姿にストレスの色は見えない。
だが、本来は犬であるはずの存在が人間の姿をとり人間として生活しているのだ。
それは、元より人間であるヒューズには計り知れない精神的疲労を伴うものなのだろう。
やれやれと溜息をついて、ヒューズは今だ飼い犬を睨み付けているロイに視線を向けた。
「ろーい、お前もいつまでも拗ねてるなよ」
「煩い」
ロイは更に眉間に皺を寄せふいっと目を逸らし、わざとらしく机の上の書類にサインする。
なんとも分かりやすい拗ね方である。
呆れつつそれを見ていたハボックは、ろくに読んでいないのにサインしていいんだろうかと思い。
次いで中尉の背筋が凍るような笑顔――ちなみに彼女は本日は公休である――を思い出し慌てて席を立った。
「大佐、ちゃんと読んで下さいっ」
「………」
ハボックのその悲鳴じみた叫びも今のロイには通じない。
「大佐、聞いてるんですか」
「………」
「大佐!」
「………」

……………。

あくまで答える気のないロイの態度に、ハボックは大きく溜息をついて一度目を閉じた。
どこか納得がいかないが、それでも今回の一件に関しては自分が悪いと思っている。
だが、こうまで無視されれば、さすがのハボックとて苛立ちを覚えるのだ。
元々納得できない部分があるだけに苛立ちが怒りに変わるのも早く、ハボックは忌々しげに喉の奥で唸る。
僅かな時間を置いて。
再び開かれた目は普段の穏やかな色が形を潜め、怒りを内包した獣のそれを思わせた。
「ロイ」
低く、だがハッキリとした声。
瞳の色に反して声色は静かで、それが彼の怒りの深さを示しているかのようだった。
その声に、ロイはようやく顔を上げ、不機嫌な表情のまま椅子から立ち上がる。
そして、ハボックに負けず劣らず険しい眼差しのまま、
「腕を広げろ」
そう一言だけ告げる。
「はい?」
一瞬何を言われたのか分からず、ハボックは虚を衝かれる形で一気に怒気を霧散させられた。
首を傾げ、目の前に立つ飼い主を見る。
その様子に苛々が募ったのか、睨み付ける視線は益々険しくなる。
「いいから早くしろ」
「はあ…」
言われるままに腕を広げるハボックに。
ロイは不機嫌な顔のまま、ぽすっと小さな音を立てて抱きついた。
犬の時のような柔らかな毛皮はないが、人型のハボックは触れれば不思議とロイを安心させる何かがあるのだ。
だけど今は違う。
そのまま大きく息を吸い、薫る匂いがいつもと違う事に無性に苛立ちを覚える。

気に入らない。
そう思う自分すら気に入らない。

この匂いを嗅ぐたび思い知らされるその事実に。
ロイは自分とハボックの心の温度差を思い知らされるようで更に苛立った。
「早く吸い終われ」
憮然とした声。
胸に顔を埋めている為、ハボックにはその表情は伺えない。
が、例え見えなくともどんな表情をしているかは想像に難くない。
「落ち着かない」
ぽつりと洩らされた呟きにハボックは困ったように視線を天井へと向けた。

――…つーか、それは反則っスよ…絶対。

勿論、色々理不尽な気がしないでもないのだが。
その一言で何だかどうでもいい気になってくる自分に悲しくなりつつ、
「……善処します」
結局、そう答える以外の道はハボックには見つけられなかった。










「で、俺は蚊帳の外なわけか?」
空しさを覚えて呟いてみるヒューズだったが。
どうやら自分たちだけの世界に入り込んでしまっているらしい二人には聞こえなかったようだった。




うやむやのまま閉幕。















※貰い物の煙草をどうするか悩んでわんこにあげることにしたブレダと煙草とブレダにやきもちを妬く飼い主。わんこ⇔飼い主。

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