わんこと錬金術師 小話










「ハボ、金魚すくいをやるぞっ」
その言葉に、アンタはガキですか…と思うが何も言わずにハボックは彼の飼い主に付いて行く。

ロイはこの日、早々に仕事を終わらせ飼い犬と共に祭りで賑わう夜の街に繰り出していた。
本当なら余計な騒動を起こさぬためにも外出は控えさせるべきだったのだが。
目を輝かせて祭りのなんたるかについて力説するロイに、ハボックの御守付きならとリザも許可を出したのだ。
もともと飼い犬を連れていく気だったロイは一も二もなく頷く。
結果、有無を言わさずハボックはロイに連れ回される状況に陥ったのだ。

「…金魚…」
俺は猫じゃないからそんなもん見ても楽しくないんですがね。
そう思ってもロイに通じるはずもなく、彼はすでに金魚すくいに夢中になっている。
「見ろ、こんなに取れたぞ」
ずいっと目の前に出された器には5匹の金魚。
他の客や店の人間が見ている為、答えるわけにはいかなくて。
ハボックは答える代わりに尻尾を振って見せた。
「うむ」
それをどう解釈したのかは知らないが、ロイは満足そうに肯いて金魚をビニールに移し換えてもらっている。
それ、誰が世話するんですか…。
飼い犬の世話ですら満足にできないロイが金魚の世話をする確率はほぼ100%あり得ない。
その事にハボックは溜息をついた。

――って言うか、どう考えても飼い犬の義務の領域を越えてるよな…。

もちろん、そんなハボックの心中をロイが察する事もあり得ないのだった。


「よう、わんこ」
「誰がわんこですか、少佐」
唸るハボックにヒューズは形だけ恐がって見せ、それからロイの方に視線をやった。
「あいつずっとあの調子か?」
「ええ。山ほど買い食いして、ヨーヨー釣りに射的に金魚」
「ヒューズ見ろ!」
ハボックの言葉を遮って、どうだとばかりに戦利品(金魚)を見せるロイは、少なくとも二十歳を越えた人間には見えない。
楽しそうだな。
ヒューズとハボックはそう思ったが口には出さないでおいた。
下手に機嫌を損ねると大変な相手だからそれも仕方がないと言うものだ。
「グレイシアさん、こんばんは」
「こんばんは、ハボックさん」
ハボックの挨拶にグレイシアが答える。
「いつも旦那さん借りちゃってすみません」
ペこりと頭を下げる大型犬に彼女は優しい微笑みを浮かべる。
「気にしなくていいのよ。この人もロイさんの事が心配で仕方がないんだから」
「そう言ってもらえると助かります」
そのまま楽しそうにロイとヒューズについて話し出す二人(正確には一人と一匹)に。
話題の二人は顔を寄せ囁き合う。
「おい、わんこの奴やけになついてるじゃねぇか」
「あいつは女性に甘い。少尉の時もおとなしく頭を撫でさせていたぞ」
「犬の癖に生意気だな。大体それって差別だぞ」
「まったくだ」
「……アンタら、何こそこそ話してんですか」
いつの間に近づいたのか。
ハボックは低く唸るような声で聞いた。
「…盗み聞きは行儀が悪いぞ、ハボック」
そうだそうだと頷くヒューズと、開き直ったロイを睨みつけ。
「なら盗み聞かれると困るような話はしない事です」
それだけ言ってさっさと一人で歩いて行ってしまうハボックに。
「待て、ハボックっ」
ロイは慌ててその背中を追いかける。
「マースっ、悪いがまた後でなっ」
ぱたぱたと足音を立てて飼い犬を追うロイの姿に。
ヒューズ夫妻は優しく暖かな視線を向けて微笑んだ。


「ハボックっ」
「何ですか?」
後ろからかかる声に振り返って問えば。
「…怒って、いるのか?」
途方に暮れた子供のような声色で聞き返されて、ハボックは苦笑した。
首を横に振り彼に歩み寄って。
「別に怒ってないですよ」
呆れてるけど。
そう言って、自分に向かって伸ばされたロイの手を舐める。
「本当か?」
「本当ですよ」
「………」
しゃがみこんで抱きしめられて。
ハボックは困ったように視線を泳がせた。
幾ら人通りが多い祭の最中でも、しゃがみこんでいる人がいればそれなりに目立つ。
それでなくとも自分もロイもそれぞれ別な意味で人目を引くのだ。
「ロイ。まだ祭見たいんでしょう?さ」
行きましょう。
そう言ってハボックはさらに頬を舐めてやる。
滅多にそんな犬らしい行動はしないハボックだが。
彼の飼い主は敵が多く、目立つ事によって何が起こるか予測する事は難しい。
だから少しでもその危険から遠ざける為にハボックは最大限の努力を惜しまない気でいた。
「ね、ロイ」
「…分かった」
ハボックの危惧が分かったのかどうかは分からないが、ロイはこくりと頷き立ち上がり。
その頭を一撫でした。
「では行こうか」
「はい」
歩き出した飼い主に続いてハボックも足を出そうとした時。
「む…」
「何ですか」
急に立ち止まるロイに、あまり良くない予感を覚える。
「ハボック、次はあれをやるぞっ」
「ちょっとっ、待って下さいっ」

何の屋台を見つけたのかは知らないが、いきなり走り出すロイに。
ハボックは慌ててその後を追いかけた。


――やっぱ絶対、これって飼い犬の義務を越えてるって。

その日、祭が終わるまで。
ハボックは何度となくその言葉を心中で呟くことになった。



夏の終わり。鋼の世界に夏祭りとか金魚すくいとかその他諸々があるかどうかはとりあえず無視の方向で。
普段の威厳(そんなものがあったかどうかは知らないが)は何処へやら。で遊びまくる飼い主に最後まで振り回されるハボわんこ。
たぶん、わんこは家で寝ている方がいいなぁとか思ってます。






「ハボック、構え」
真面目な顔での飼い主の言葉に。
「……それ、普通は俺が言うもんなんじゃないですか?」
ハボックは呆れかえった。が。
その飼い犬の指摘は無視する気なのか、ロイはさらに。
「退屈なんだ」
やたらキッパリそう言った。
「俺は眠いから退屈じゃないし、アンタと遊ぶ気はありません」
ついでにアンタ、退屈でもやんなきゃなんない事があるでしょうが。
そう言って我侭な飼い主から目を逸らすハボック。
だが、ロイはそんな事で諦めるような人間であるはずもなく。
床に寝そべるハボックの上に容赦なく覆い被さった。
「…重いんですけど」
「私は重くない」
「………」
「ハボ、構え」
「………」

――何でこんなのが飼い主なんだ。それでいいのか、俺。

大きく溜息をついて、ハボックは身を起こす。
当然、
「わっ」
上に乗っていたロイは落ちそうになり、慌ててしがみ付いた。
「どこへ行くんだっ」
「アンタがいない所へ」
「置いていく気かっ?!」
非難めいた声で叫ばれ、ハボックはいい加減にしろよ、と心中で毒づく。
振り返ってしがみ付いたままのロイを睨みつけて一言。
「…アンタまだ仕事終わってないでしょ」
「………」
目を逸らすロイに溜息をつきつつ、もう何度言ったか分からない言葉を口にする。
「いいっスか。アンタの仕事はこの書類の山をさっさと期限内に処理することで、俺を構う事じゃないんです。って言うか、俺が中尉に怒られるから離してください」
「………」
「俺が冷たいわけじゃないですよ。やるべき事をやらない人が悪いんです」
ハボックの言葉に、しゅんとして手を離して。
ロイは執務机に戻る。
それを横目で眺めていたハボックは。
たまには厳しくしないと際限なく付け上がるからなぁ。
と思いつつ、それでもこの飼い主に甘い自分を自覚していた。

「大佐、頑張ってくださいね」

待ってますから。
そう言って。
ハボックは飼い主の足元で横になった。






【風邪】ご主人編


「お前さんも大変だなぁ」
ヒューズのその一言に、ハボックは盛大に溜息をついてみせた。
「…これって飼い犬の義務の範疇っスかね?」
あんまりそうは思えないんですけど。

現在のハボックの状況を一言でに説明するならば。
”抱き枕”あるいは”湯たんぽ”と言ったところだろう。
彼は、飼い主――ロイに抱き付かれて、半ば下敷きの状態でベッドに横になっていた。

「熱、高いのか?」
「朝計らせたら38度もあったんです。今は少し落ちついた気はするんですけど…」
「…こいつ普段は結構丈夫なんだが一度熱出すと長いからなぁ」
頭を掻きつつ、ヒューズはしゃがみ込んでロイの額に張り付いた髪を払ってやる。
「ロイ、何か食えそうか?」
その問いにうっすらと目を開くが。
またすぐ閉じてしまう。
思った以上に具合は良くないようだった。
とりあえず薬だな。
そう考えてヒューズは立ち上がる。
「軽く食えそうなもん作るから、ハボック、お前はロイの枕になってろ」
「………」
「そう不満そうな顔すんなよ。犬は体温が高いから丁度いいだろ」
枕にされるのが嫌いだとは知っているが、今は病気のロイを優先してくれとヒューズが目で訴える。
ハボックは渋々と言った様子でそれに頷いた。
「…了解っス」
病気の時は不安になるものだと。
昔、あの人が言っていた事をハボックは思い出した。
ロイでも不安になる事があるのだろうかと考えて、意外に脆い部分がある事を思い出す。
普段の我がままで傍若無人な態度の彼を見ているとつい忘れそうになるが。
確かに、ハボックの飼い主は繊細な人でもあるのだ。
「ハボ…」
か細い声で名を呼ばれ。
「どうしました?」
問うが返事はない。
寝言かと、ハボックが首を傾げていると。
「…寒い…」

――ああ、寒いのか。

風邪などここ数十年ひいた事がないハボックには良く分からないが。
ロイが微かに震えているのは確かだった。
少し離し気味にしていた身体を寄せてやり、出来るだけ触れる面積を増やす。
犬の体温が人間より高いのは事実なので、こうすれば少しは温かいはずだとハボックは思った。
「ハボ」
きゅうっと毛を掴まれ少し痛かったが、それについては何も言わず。
ハボックはロイの頬を舐めてやる。
「大丈夫、俺はここに居ますから。安心して下さい」
「…ん」
ほっとしたように緩む顔に苦笑して。
ハボックは早く治ると良いですねと囁いた。


その後。
ハボックは、お粥を作って戻ってきたヒューズに色々からかわれる事になるのだが。
それはまた別の話である。


日常一コマ、風邪引き編。
飼い主には枕にされて、その後ロイに甘いと言う事実でヒューズに散々からかわれるハボわんこ。
彼の最大の不幸は1:飼い主がロイ、2:ヒューズが飼い主の親友、3:ハボが犬だったこと、のどれでしょうか?(正解は全部)






【風邪】わんこ編


「あー…ロイの奴は?」
用事があって顔を出してみたヒューズだったが、朝だと言うのに執務室にロイの姿はない。
この時間ならまだサボりと言うわけでもないだろうしと首を傾げる。
「それがまだ来てないらしいんです」
ロイの机の上の書類の山を――恐らくやらなければならない順に整理しているリザを気にしつつ、運悪く居合わせた者がそう教えてくれた。
その言葉に。
「………あいつ、また風邪ぶり返したんじゃないだろうな」
ロイが風邪で熱を出し、ヒューズがハボックに呼びだされたのは、ほんの数日前の事だ。
意外に熱が出ると長引く性質のロイならば、また…という可能性は否定できない。
「ホークアイ少尉が恐いんですっ。何とかしてくださいっ」
小声で必死に訴える部下に困ったように頬を掻いた時。

ジリリリ…

あまり良い音とは言えない電話のベルが鳴り響いた。
近くに居た者が出る。
「あ、中佐………はい、少しお待ちください。少佐、マスタング中佐からお電話です」
「俺?」
リザの視線を感じながら、受話器を受け取り、副官が怒っている事を伝えようと口を開く。
「よう、ロイ。お前早く来ないと少尉がカンカン」
『マースっ、ハボックがっ!』



「で、来たわけなんだが…」
「はあ、そりゃすいませんね」
ヒューズの言葉に、ベッドでぐったりとしている大型犬はお愛想程度にそう返しただけだった。


ロイの慌て振りに一体何があったのかと(仕事もそっちのけで)駆けつけてみれば。
飼い犬を抱きしめたまま必死に助けを求めるロイと。
飼い主に力一杯抱きしめられて息も絶え絶えなハボックがいて。
とりあえず、ヒューズが真っ先にした事は、ロイとハボックを引き離す事だった。


「ま…お礼は言っときます。あのままだったら俺、間違いなくロイに止め刺されてましたよ」
その言葉に、確かにとヒューズも頷く。
必死になる余り力加減を忘れたロイに、あの時のハボックは放してくれと言う気力すら残っていなかったようだった。
「…お前さんも大変だな」
あんな飼い主で。
「あんたもね」
あんな親友で。
お互いそう思うのに。
それなのに、二人とも彼から離れる事など考えられないのだ。
彼らの連帯感はある種”同病相憐れむ”という奴なのかもしれない。
「で、大丈夫なのか?」
「さあ…なんか頭がぼーっとしててあんまりよく分かんないっスね…」
ヒューズが手を伸ばし、誰の目にも具合が悪そうに見える彼の身体に触れてみれば。
明らかに異常なほど、それは熱を持っていた。
「…風邪、か?」
「何っ?!」
訊いたヒューズに反応したのはロイで。
ばたばたと駆け寄って来る。
「…ロイ、水はどうした?」
「あ…」
忘れたらしい。
「俺はハボックに飲ませる水を汲んできてくれって言ったぞ」
「…行って来る」
それだけ言って素直に離れたロイに、ヒューズは首を傾げた。
「何なんだ…やけに素直で気味が悪いぞ、あいつ」
失礼な言葉を漏らすが、ロイには聞こえなかったらしく。
代わりにハボックが答える。
「たぶん、自分のせいだと思ってるんじゃないっスか」
「自分のせい…ってお前の風邪がか?」
「たぶん。ほら、風邪引いてる間ずっと俺のこと抱き枕にしてたでしょ」
あれで風邪がうつったと思ったんですよ。きっと。
そう言って困ったように笑うハボックに、ヒューズはそういう事かと納得した。
普段酷い扱いをしているがロイはこの飼い犬をとても気に入っているのだ。
それこそ片時も離れず側に居させたいほどに。
「しかし、お前さん犬だろ」
「ええ、犬ですよ」
「犬に人間の風邪はうつらないよな」
「キメラっスから確実にそうとは言い切れないですけど、いままで人間の風邪はうつった事ないっスね」
「…だよなぁ」
「ええ」
何故、頭が良いくせに変なところで抜けているのだろうか。
二人ともそう思うが答えが出るはずもない。
「医者は…行かない方がいいか…」
「キメラっスからねぇ。獣医も人医もちょっと…」
他人に触られる事を嫌うハボックから見れば医者は敵と言ってもいいのかもしれない。
非常に嫌そうに唸る姿に、ヒューズは彼の飼い主の医者嫌い(と言うか注射嫌いで薬嫌い)を思い出す。
どちらのそれも、悪意に近い人為的行いによって受けた心の傷と深く関わっているだけに。
迂闊に触れる事は出来ない領域で。
だから、ヒューズはハボックの頭を優しく撫でてやるだけで、それ以上その事については言わないでおいた。
「まあ、頑張れや。今日はホークアイ少尉のお達しだからロイは連れてってやるから」
同情的にそう言われて、ハボックは頷く。
「努力してみます」
でないと今度こそ看病慣れしていない飼い主に止めを刺されるかもしれないし。
そう答えたハボックの声色はいつになく真剣だった。


その後、ハボックはたぶんその言葉通り治す努力をしたのだろう。
だが。
幾ら何でも、ロイが帰るまでに治すなどという奇跡は起こせなかったようで。
看病された翌日には気力も体力も使い果たし、更に風邪は悪化したらしい。

過度な看病は良くない。何事も程ほどに。

周囲のそんな言葉が通じるほど、彼の飼い主が常識人でなかった事に。
ヒューズは甚く同情した。


どっちが風邪をひいても、迷惑がかかるのはわんこの方だったという事で。
病院に行くわけにいかなかったわんこはこの後一週間寝込んだという…なんとも憐れなお話です。って憐れにしたのは私か…。






「あ」
ふと、窓越しに夜空を見上げて。
金色の大型犬――ハボックは小さく声を上げた。
その声が耳に入ったらしく。
「何だ?」
本――もちろん錬金術のだ――を読んでいたロイがハボックに視線をやり問うと。
彼はロイを振り返って。
「…雪っスよ」
と、口にした。
「雪?…まだ夏だぞ」
雪が降るに早い。
「でもほら」
視線で示されて立ち上がり、ハボックの傍に行ったロイが外を見る。
「………本当だ」
街頭に照らされ、ちらちらと降り注ぐ白い雪。
あり得ない。
そう思うが、実際にそれは降っていた。
今夜は冷え込んではいたが、雪が降るほどとは思わなかった。
そう思ったのはハボックも同じだったらしく。
「大佐、アンタ普段しないような事しませんでした?」
一週間先の書類まで全部片付けたとか。
と、非常に失礼な台詞を吐く。
「……何が言いたいのかね?」
「いや、別に」
「………」
不機嫌な顔で睨むロイから視線を逸らして、ハボックはまた外に目をやる。
「もう夏も終わり…ですか」
「秋が来ていないのに冬になるか」
常識で考えろ。
「でも、雪っスよ?」
首を傾げるハボックにロイは飼い犬の頭を撫でて。
「雪が珍しいか?」
そう訊いた。
この季節に雪が降るほど冷え込んだ理由など分からないのだから、論じても仕方あるまいと。
そう示しているのが分かったので、ハボックも飼い主の問いに応じる。
「…はあ、雪は珍しくないっスけどね」
俺、北部にも住んでたことありますし。
「そうか…」
訊きたそうなのに、それ以上何も訊かないのは遠慮なのだろうとハボックは判じ、苦笑する。
訊けば答えるのに。
変なところでこの人は遠慮深い。
「ロイ。俺が北部にいた頃の話、聞きたいですか?」
「…いい、のか?」
遠慮がちな声が訊くのに頷いて。
ハボックは昔話を語るように、静かに話し始めた。


季節外れの雪は積もることはなかったけれど。
自分の想いが、例えほんの少しでも、この飼い主の心に積もればいいと、そう、ハボックは思った。
















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