わんこと錬金術師 番外










序。




「…う〜ん…」
「どうした、わんこ?」
ソファーの前で何とも難しい顔をして唸るハボックに、ヒューズが問う。
「いや、これって…どう思います?」
問いに対する答えに、視線を示された”これ”に向ける。
それはソファーの隅に置かれた一冊の本だった。
題名は。
「…正しい犬の飼い方?」
何となく、ハボックが唸っていた原因を察してヒューズは遠い目をする。

彼の親友は、最近漸く自分を主人と認めた飼い犬に夢中なのだ。
だから、これも彼が飼い犬を理解しようとしている証拠と捉えるべきなのだろうが。
…だが。

「…なぁ、ハボック」
「…何ですか?」
ヒューズの声も、それに答えるハボックの声も、どこかげんなりとしている。
「やっぱりあいつを主人に選んだのは失敗だったんじゃないか?」
「ちょっと今俺もそう思ってます」
はあ、と同時に深い溜息をついて。
ヒューズとハボックは、これから己の身に降りかかるだろう不幸を嘆いた。







犬の飼い方:1、必要なものを揃えましょう。




「ハボック、買い物に行くぞ!」
「…いきなり何なんですか」
本――例の犬の飼い方のやつだ――を読んでいたロイが急に立ちあがってハボックに声をかけた。
その唐突な言葉に首を傾げるハボックだが。
「いいから行くぞっ」
有無を言わさぬ口調で更に主張され、諦めて溜息をついた。
「…了解っス」



「…ペットショップっスか」
「うむ。この前から色々な本を検証した結果、やはり買っておくべきだと思うものが幾つかあるという結論に達したのだ」
「はあ…」
うきうきと中に入るロイに、ハボックと(何故か連れ出された)ヒューズが渋々といった体で続く。
店内には所狭しといろいろな物が並んでいる。
独特な匂いに早くもうんざりとするハボックには構わず。
ロイは頭の中で、今までに読んだ本に書かれていた事柄を思い出した。


■まず用意する物。

・ドッグフード
これはハボックの食生活から鑑みて不要だろう。

・食器(ご飯用と水入れ)
すでにあるにはあるがこれは買っておこう。

・サークル
散歩以外では放し飼いだ。

・トイレ及びトイレシーツ
人間のトイレを使うのでこれも不要。

・ベッドや布団等
……。

そこまで考えて漸く、買うものが思っていたよりない事にロイは気付く。
基本的に、ハボックの生活スタイルは犬というよりも人間に近い。
きれい好きでよく気が付き、飼い主の面倒も見る彼の飼い犬が、犬より不精な飼い主に世話されるなどまずあり得ない。
その事実にしばし打ちひしがれたロイだったが。
ふと、他にも大事な物があったじゃないかと思い出す。
そう、それは。

”首輪”

である。
先程から一人で百面相しているロイに引き気味のハボックの方を見て、ロイは嬉しそうに手招きした。
「おい、呼んでるぞ」
行けよ。
と、ハボックを押し出そうとするヒューズもだいぶ腰が引けている。
「やですよ。アレよくない事考えてる時の顔じゃないですかっ」
(他に店員や客がいるので)小声で訴えるハボックに至ってはすでに涙目だ。
ふるふると首を振って嫌だと示すが。
「ハボック、来い」
ぐいっと首を掴まれ、引っ張られてしまえばもう成す術もない。
されるがまま引き摺られる大型犬に、ヒューズは同情した。
連れていかれた先は勿論首輪が置かれている棚の前で。
「…どれが似合うだろうか」
ロイは真剣な顔でハボックと首輪を見比べている。
悪気は欠片もないので、本気で嫌そうに顔を顰める飼い犬には気付いていない。
「…ロイ、本気で嫌がってるぞ」
さすがのヒューズも可哀想になって声をかけるが。
「あとリードもいるな」
それにブラシとジャンプーも。
そう、ぶつぶつと呟くロイには聞こえていないようだった。
「…お前さんも大変だなぁ」
しゃがみ込んで呟いたヒューズに。
「…やっぱり俺、飼い主の人選誤ったかもしれないっス…」
答えるハボックの声は実に深い後悔の色を覗かせていた。



その後。首輪を着ける着けないでわんこと飼い主は散々口論し、出掛ける時のみ着用で決着をみたようです。







犬の飼い方:2、犬の習性を理解しましょう。




首輪の一件の翌日。
仕事の最中だと言うにもかかわらず、ロイは”正しい犬の飼い方”の本を捲っていた。
本日の項目は犬の習性についてで、その内容は。


■犬は群れを単位に生活する動物です。群れはリーダーが統制し、必ず順位があります。
順位の低いものは、高いものに服従しなければなりません。
犬は群れの順位が定まるまでに、一度は高い順位を狙おうとします。

そこまで読んで、そうか?とロイは首を傾げる。
犬が群れを作るのは常識なのでともかく、ハボックは一度とてロイを軽視した事はない。
噛みつかれた事はあるが、それは錬金術師を嫌うハボックに不用意に触ったのが原因で。
ハボックがロイより上位に立とうとした事など皆無と言ってよかった。
なので。
その事については、ハボックは賢いからな、と親バカならぬ飼い主バカな事を考えて。
ロイは続きを読み始める。


■犬から尊敬される群れのリーダーになりましょう。
犬の順位は、家族の中で1番下になるのが犬にも人間にも良い事です。
犬の寝床などは、家族が常にいる場所から離し、また、犬を寝室で寝かせてはいけません。
犬の群れにおいて、リーダーは群れの中心に、階級の低い犬は周辺にいるものです。
ですから、寝室や人通りを見張れる場所などを犬に与えると、リーダー扱いを受けていると犬は考えます。
また、食事もリーダーが先に取り、余りものを他の犬が食べます。
人間の食卓に参加させれば、犬はボスの座に近づくと考えるのです。

「………」

どうしよう。

そう、ロイは思った。
今読んだ文の内容で彼の心に大きな動揺をもたらしたものはたった一つだけ。

犬を寝室で寝かせてはいけません。

の件だけだった。
ロイはハボックと一緒に寝ている。
これはハボックがロイを味方と認めてからずっと続いている事で。
ロイは飼い犬と眠るのをとても楽しみにしているのだ。
だが、この本にはそれは良くない事だと書いてある。
だから。
一応、ハボックと離れて眠る自分を想像してみるが。
「…それは嫌だぞ」
どれ程、飼い犬が(何しろハボックは抱き枕にされるのがすごく嫌いなので)渋ろうとも、一緒に寝なかった事は数える程しかないのだ。
いつも朝方にはソファーに移動している飼い犬に怒るのも常だが。
それすら既に日常の一部で、手放しようがない。
更に言えば、飼い犬と共に摂る食事も大事な時間なので。
ロイは結局、それらの文章は見なかった事にして先に進んだ。


■犬は走るものを追い、捕まえようとする習性があります。
■犬は非常に臆病な動物です。群れから一人にされると、とても悲しく、怖いと感じます。

「…そうか?」
またしても首を傾げ、ロイは床に座って本――ヒューズが貸したものだ――を読んでいるハボックを見る。
「ハボック」
「何スか?」
「お前は逃げるものを見ると追いかけたくなるか?」
「はあ?…なんでそんな面倒な事しなくちゃいけないんですか」
ハボックは飼い主の問いかけに怪訝そうな顔をして答えた。
ハボックの基本スタイルは”来るもの拒まず去るもの追わず”だ。(錬金術師のみ限定で追い払おうとするが)
それは知っていたので、ロイはその答えに納得し。
「では、一人でいるのは嫌いか?」
と、次の問いをぶつける。
「賑やかなのも好きですけど、静かな方が良いですね。一人の方が落ちつくし」
「………」

本に書かれている事とあまりにもかけ離れた答えに、ロイは手にしたそれを閉じた。



飼い主も飼い主ならわんこもわんこだという話。今回は全然動きがない話です。わけわからないし…ごめんなさい。
飼い主になり切れない飼い主と犬の習性が大部薄いわんこのせいで本の内容は無視されまくりです。
ちなみに。ハボわんこの主な犬の部分は忠誠心と細かな本能の部分だけで、後は元の飼い主に感化されて薄れてしまっています。
特に長く生きる事が前提だった為、錬成時に群れる習性は取り払われてしまっています。







犬の飼い方:3、しつけをしましょう。




■基本訓練をしましょう。


「ハボック、座れ」
本を片手にそう命じられ。
ハボックはどうしようか迷った。
なんとなくこういう扱いは癪だと思うのだが、言う事を聞かなければこの我侭な飼い主が癇癪を起こすのは目に見えている。
またしても(仕事中だというのに)付き合わされているヒューズに同情の視線を送られて。
ハボックはうんざりしながら座り込んだ。
「…これでいいっスか」
「反応が遅い。もう一度」
「………」
不満気な視線を送るが見事なまでに無視して、ロイは身振りも加えて指示を出す。
「座れ」
溜息をついて、ハボックは一度上げた腰を再度下ろす。

――勘弁してくれ。

本気でそう思う。
「うむ。これは問題ないな。では次だ」
満足そうに頷くロイに、ヒューズは呆れた。
ハボックは確かに犬だが、実際は犬のキメラで人間の言葉を理解し、さらに喋ることができるのだ。
躾の必要性など元よりない。
それでも一通りやってみたいというロイに付き合うハボックも自分も、非常に憐れだと思ってしまって。
こんな時に限って非番のリザに電話をかけたくなった。
”お宅のところの上司が仕事をサボって無駄なことしてて迷惑してるんで来てもらえないだろうか”
そう言えば仕事熱心な彼女は来てくれるだろう。
だが、普段からサボり好きの上司に振り回されて激務で疲れ果てているだろう彼女を呼び出すのは忍びなくて。
ヒューズは、今日の予定を明日に詰めこまないとなぁと考えながらも溜息をつくだけに留めた。
彼の目の前では、まだロイの本片手の躾が続いている。
「伏せ」
「はいはい」
「はいは一度だけだ」
「へい」
「………」
やる気のない飼い犬にムッとしながらも、ロイの方に止める気はないらしい。
次行くぞと言って手をハボックの前に突き出す。
「待て」
そう指示を出し、じりじりと後退していく。
それを見て。
…傍から見たら変な光景だよな。絶対。
ハボックはそう思いながら欠伸をした。
軍人(しかも佐官)が、軍部の中庭で、飼い犬相手に、片手に本(しかも犬の飼い方)を持ったまま、じりじりと後ずさる光景。
…実に異様だ。
そう考えて、ハボックは溜息をついた。
その間にある程度の距離を置いて止まったロイは本に目を走らせ。
「来い」
そう指示する。
もう口答えする気も起きず。
ハボックは立ち上がってのろのろとロイの方へ歩く。
そして、それを眺めていたロイは不満げに眉を寄せた。
「………」
「何ですか?」
目の前まで行って座ってから問うハボックに。
視線は飼い犬に固定したまま、ロイは首を傾げた。
「何か違う気がする…」
「はぁ」
「こう、何と言うのか…求めているものとかけ離れている気が…」
何を言い出すんだ、今更。
とハボックもヒューズも思う。
最初から、ロイのしている事は彼の望みからずれているのだ。
本人はそれを理解していないようだったが、彼の親友と飼い犬にはすぐに理解できた。
「…そりゃそうだろうよ」
そう、ヒューズが口にした言葉を、
「アンタ、犬の躾ってちょっとは苦労するもんだって考えてませんでした?」
と、ハボックが引き継ぐ。
親友と飼い犬の視線に少し考えて、ロイは頷く。
「うむ、確かに」
「そう考えてるなら、俺相手にそんな事するの自体間違ってるんですよ」
「…何故だ?」
まるで分かっていない主人にハボックは呆れる。
何故理解できないのだろうか。
本当の所、この人はただ、ハボックが自分のものである事を実感したいだけなのだ。
それは犬であるハボックにすら分かる事なのに。
「コミュニケーションが取りたいなら素直にそう言うなり態度で示すなりすれば良いんです。余計な遠回りをするから納得できないんですよ」
それに。
「俺はアンタの命令には基本的に従うから躾なんてもん必要ないですしね」
「…そう、だな」
漸く納得したらしいロイは本を閉じる。
そして、傍にいる飼い犬をぎゅうっと抱きしめて。
「ハボック、次は”取って来い”だ」

――全然分かってねぇ…。

今度こそ本気で。
ヒューズは彼の親友である事を。
ハボックは彼の飼い犬である事を。
今更だと分かりつつも、深く嘆いた。



犬に諭されるダメ飼い主でした。でも少しも分かっていません。
むしろ何をする訳でもないのに仕事中に呼び出されたヒューズが憐れです…。







終幕。




数日何の音沙汰もない事を不思議に思い――何しろ必ずと言っていいほど何かある度に呼び出されているので――親友の自宅を訪れたヒューズは。
山積みの既読本の中に”正しい犬の飼い方”のタイトルを見つけた。
「…ロイのやつ、諦めたのか」
崩れたらしい本の山を整理しているハボックにそう問うと。
「みたいですねぇ」
と、咥えていた本を下ろして答える。
「まあ…お前さん相手じゃ犬の飼い方も何もあったもんじゃねぇよな」
どう考えても世話されてんのはロイの方だし。
「ですよね」
ハボックもその言葉に同意して。
でも…と続けた。
「あの人はその辺を基本的に理解してないんですよね…」
「…だよな」
頭では分かってるんだろうが。
「自分も世話してると思ってんですよね…」
「してないよな」
「してませんねぇ」

早々にそういう相手なのだと諦めればいいと知りつつ、それでも相手に理解を期待するのは間違っているだろうか。

そう考える一人と一匹だったが。
当然。答えなど出るはずもなかった。
















※振り回され損なヒュー&わんこ。


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