イロコイ







side:J



どすん。

背中に感じた衝撃に、最初何が起こったのかわからなかった。
瞬間、敵の襲撃かと考えて、ここは一応指令部内だと思い直して振り返れば。
夜を思わす黒い瞳と視線が合った。
その目が大きく見開かれて、その後ほんの一瞬の間を開けて。
「あ、あのだな…」
ほとんど反射的なものなんじゃないかと思えるような切り出し。
数瞬後に見せた後悔の色に、俺まで戸惑ってしまう。
それ位、今の大佐の態度は常の彼からは外れたものだった。
「何ですか?」
動揺を悟られないように努めて冷静に問う。
「話が、ある」
大佐はそう言って、視線を反らして歩き出す。
僅かに振り返ってついて来いと施す、その仕草に従って後に続けば、こちらを気にするかのようにちらりと上目使いに盗み見てきて。

――うわ。どうしよう。

そう本気で焦った。
一気に心拍数が上がる。

俺が大佐に尊敬以上の念――言わずともわかるだろうが恋愛感情を含んだものだ――を抱いている事は極身近な同僚達にとっては周知の事実、という奴だった。
だが、俺が想う当の本人はとてつもなく鈍くて。
俺がそんな感情を自分に持っているなど思いもしていない。
だから。そんな風に無意識に煽るのはやめて欲しいのだ。
俺だって健康な青年男子で、理性がいつまでも保つわけではないのだから。

「あの、大佐」
「…何だ?」
遠慮がちに、前を行くその背に声をかける。
返される返事は予想以上に素っ気なくて、少しだけ気分が落ち込んだ。
「あの…話って何でしょう?」
ここで話せないようなものなんだろうか。
だが、機密事項の類などは俺のような尉官程度には関係のないことだろうし。
だとしたら一体なんだと言うのだろうか。
「…もう少し待ちたまえ」
短く嘆息する様に思わず竦んでしまいそうになる。
よくわからないが、彼の機嫌は不機嫌とまではいかないがあまり良くないようだ。
追求は諦めて、素直にその後を追うことに専念する。
理由は本気でわからないが、どうも機嫌が悪いのは自分のせいのように思える。
何かしただろうかと考えてみるが、特に思い当たらず。
考えるのは止めて、しばらくその背だけを追って廊下をひたすら歩き、階段を登って行く。

大佐がやっと足を止めた場所は屋上だった。

澄んだ青い空が視界に映し出される。

「あの…」
「ハボック」
唐突に大佐がくるりと向きを変えて、結果、真正面から向き合う形になった。
自然に合わさる視線が絡み合う。
大佐の瞳は何故か決意の色を秘めていて。

――どうしよう。

心の中でそう呟く。
俺はこの瞳に弱い。
強い意思を秘めたこの黒に。どうしようもなく焦がれていると自覚しているのだ。

「…大佐?」
精一杯絞り出した声はひどく弱く震えていて、情けなかった。
それでも目だけは逸らさずにいたのは。
少しでも長くこの強い焔の宿る目を見ていたかったからだ。
「ハボック、お前は私のことをどう思う?」
真剣な目と声に、条件反射で姿勢を正して。
それから言われた言葉を反芻する。

………………。
…………………。

「えっと…大佐?」
問いの意味が分からない。
単純な意味での感想を聞いているのか、もっと違う意味なのか。
混乱していると自分でも自覚できる頭に、この問いは難解過ぎた。
「…さっさと答えろ」
なぜか大佐の声にも余裕がない。

どうしよう?どう答えるのが正しい?

「…………あの」
「なんだ?……いや、いい。何も言うな…うむ…やはりこういうのは、あれだな…」
かけようとした言葉はなぜか答えを求めた本人に遮られて。
俺の言葉を遮った当人は何やらしきりに頷いているし…。
て言うか。なんで顔真っ赤なんですか?…風邪???
ああ…くそ。本気でどうしたらいいのかわからない。
そうこう俺が悩んでいるうちに、大佐の方は一度揺れかけた決心を再び固めたらしい。
やけに決意に満ちた、強張った面持ちで俺を見上げて――と言うよりは睨みつけてきた。
「…あのだな。ハボック」
「はい」
紡がれる言葉に何とはなしに俺の身体も堅くなる。
よくわからないが、今の大佐からはそうしなければならないような空気が漂って来ているのだ。
「一度しか言わんからよく聞け」
「…はい」
答えれば僅かに沈黙が落ち、そして。
「私は、だな…あー…………………」
そこで途切れる。
大佐は何故か何とも複雑そうな顔で視線を逸らし。
「っ…くそっ!なんでこんなたかが二文字の言葉が言えないんだっ」
苛立ちの色の強い声で叫び、頭を掻き毟る。
どう反応すればいいのか分からない。
が、一応声はかけてみることにした。
「…あの、大佐?」
「うるさいっ、今私はそれどころではないっ!…くそっ…どうしたらあのバカ犬に好きだと言えるんだっ」

―――は?

俺は思わず――多分他人が見たら確実に変だと言うだろう顔をして――大佐をまじまじと見詰めてしまった。
この人は今、なんて言った?
「………………あの、大佐?」
「なんだっ」
「”あのバカ犬”って、ひょっとして…俺のことですか?」
恐る恐る口にしてみた疑問に。
「は?一体何を言って……???」
そう聞き返してから、自分の言葉を反芻した大佐は。
次の瞬間、耳まで真っ赤になって俯いた。

「「…………………」」

お互いに何も言えずしばらく沈黙し。
俺がそれに耐え切れなくなり口を開こうとした時。
「だっ」
大佐が大声を上げた。
「だ?」
続きを問う。
「だからだなっ」
「はい」
「私はだなっ」
「はい」
「〜〜〜っ!」
どうしても言えないらしく、真っ赤な顔のまま必死に声を絞り出そうとする姿は到底29歳には見えない。
さすがに10代とは言わないけれど、俺より年下に見えてしまう。
それは童顔のせいだけでなく、その言動がどこか幼く思えるせいなのだろう。
そんなことを考えながら、溜息を一つついて。
「つまり大佐は、俺のことが好きなんですね?」
そう言ってやれば。
「っ」
びくっと竦んで言葉に詰まってしまった。
「違うんですか?」
「い、いやっ…そうではないがっ…」
「じゃあ、俺たち両想いですね」
「………………は?」
今度は大佐があんぐりと口を開く番だ。
とてもじゃないがこの人に憧れる女性には見せられない間抜けな顔で硬直してしまっている。
そんな姿すら可愛いと思うのだからどうしようもない。
そう思いつつ、本当の事を白状する。
ずっと、告げずにおこうと思っていた事だが、言わないとフェアじゃない気がするし。
「ね、大佐。俺はアンタが好きです。でもね。今の今まで、俺はそれをアンタに告げようとは思いませんでした」
「……なぜだ?」
俺の言葉に首を傾げ問う大佐の表情は、大佐が戸惑いを感じている事を俺に教えてくれる。
酷く心細そうなその表情は、たぶん俺では想像もつかないような理由を考えてしまったからだろう。
「俺は卑怯者なんですよ」
そう言えば。
「そんなことないぞ」
あっさり否定してくれる。
それが嬉しくもあるけれど。
「いいえ。俺は卑怯者なんです。アンタの傍に居られなくなるのが怖くて、言いだせなかったんですから」
「……だったら私も同罪だぞ。お前に軽蔑されるが怖くて今まで言わないできたのだから」
そう言って今にも泣きそうに顔を歪める大佐に、手を伸ばす。
頬に触れて、俺は身を屈めて訊いた。
「…大佐。キス、しても良いですか?」
「なっ」
「ダメっスか?」
俺の問いに真っ赤になって慌てた大佐は視線を逸らそうとする。
それを、両手で頬を包み込む事で遮ってしまうと。
「いきなり過ぎるっ」
怒った顔でそう主張する。
だけど。 照れているだけだと分かっているから俺は引く気はなかった。
「でもしたいんです。ダメですか?」
「っ!」
ほんの少し、触れるだけのキスを額に落とす。
とうとう耳まで真っ赤になってしまった大佐に、少し気の毒になってやっぱりそのうちでいいと言おうと考えた時。
大佐が口を開いた。
「……あ、あのだな」
「はい」
「す、少しだけだっ。あまり時間を取ると中尉が怒るからな」
びしっと目の前に突き付けられた指先に笑って。
「…そう言えばアンタ。サボりっすか?」
まだ昼前ですよ?
そう聞くと。
「…お前のせいで仕事が手につかなかったんだ…」
そう言われた。
「……それ、俺のせいっスか?」
まあ、いいけど。
それだけ俺の事を考えてくれたって事だから。


怒ったような顔で照れをごまかすその額に。
優しく、触れるだけのキスをして。
不満気に洩らされた唸り声に少しだけ笑って。
そして、望まれるまま唇にキスを落とした。
















※頭がゆるくて申し訳ない感じ。


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