帰主本能







side:J



はっきり言って、俺――ジャン・ハボック、階級は少尉――の日常は『大佐の御守』、この一言に尽きる。
今も、指令部に到着早々、同僚兼上官のリザ・ホークアイ中尉に行方不明――早い話がサボりだ――の上官を探して来いと、それはそれは麗しくも恐ろしい笑顔で言い渡されたばかりだった。


東方指令部の敷地内を、のんびりと大佐を捜して歩く。
慣れというのは恐ろしいもので、実質的責任者が行方不明だと言うのに指令部内は穏やかなものだ。
かく言う俺も、たびたび姿を消す上司を捜すことにすっかり慣れてしまっている。
理由はよくわからないのだが、いつのまにかそれは俺の役目にされていて。疑問を感じる前に日常になっていたのだから仕方のない事だろう。
少し緊張感に欠ける気がするが、それもまあ悪くはないのかもしれない。

「ま、とっとと捜し出して仕事させないと」
大佐は今日は早番だったはずだ。俺は午後出勤だったにもかかわらず、夜遅くにやってきて、時間になったら起こせと言って人のベッドを占領していたので間違いない。
あの中尉の様子からすれば、ほぼ午前中一杯サボり続けていたと見ていい。
早く捜さないと俺までとばっちりを受けそうな怒り具合だった。
確かに、大佐の隠れる場所はその時の天気と気分次第で、決まった場所に居るということはまず在り得ない。
デスクワークに飽きて雲隠れした上司を捜す、などという事に午前中一杯使わされたのだとしたら、中尉の怒りはもっともだと思う。

――大佐を捜すのは難しい。だが、俺には不思議とわかる。今日の感じだとあそこだろうとか、今日はあの場所辺りにいそうだとか、わかってしまう。
まあ、自分も息抜き程度にサボることはあるので隠れられる場所を人より多く知っているせいもあるだろうが。
何よりも、呼ばれているような気がするのだ。そこへ行けと本能が命じるような、そんな直感のようなものを感じるのだ。

だから、今日も己の直感の命じるまま、中庭の奥に足を向ける。
この辺りは所々に木陰が出来ていて、寝心地が良い下草も生えていて、かつあまり人はやって来ない。
早い話が、大佐がサボるのに都合のいい場所ということで。
背の低い木々の茂みを掻き分けてみれば。
案の定、木々の合間に出来た小さな空間に気持ちよさそうに眠る上官の姿があった。
やれやれ。人の気も知らないで。
そう思いつつ、大佐の傍に寄って顔を覗き込んでみた。
何と言うか。
無防備に眠る姿は、童顔――本人も気にしているらしい――のせいもあってか子供のように見えて。
少しだけ起こすのが可哀想な気がする。
だが中尉の怒りを考えればこのまま眠らせておくわけにもいかないだろう。
そう思い直して。
「たーいさ」
まず起きるとは思えないが、一応声をかけてみる。
当然の如く、反応はない。
「大佐」
もう少し大きめな声で再度呼びかける。
やはり反応はない。
「大佐ってば」
今度は屈み込んでちょいと頬をつついてみる。
「……うるさい」
…目も開けないまま、文句と共に無造作に手を払われてしまった。
「起きてください。中尉が探してましたよ」
「…まだ大丈夫だ」
「あんたね…」
「うるさい」
非情に険悪な声とともに僅かに身じろぎし、うっすらと目が開かれる。
ちらりと視線を走らせておざなりに俺の姿を確認して。それから、手で自分の横の地面を軽く叩く。
…座れ、ということらしい。
やれやれと思いつつ、指令に従って腰を下ろせば。
ころんと身体を反して、断りもなく人の膝に頭を乗せてしまった。
…しまった。このまま寝る気かもしれない。
「大佐、起きてくださいよ。俺まで中尉に撃たれるのは嫌ですよ」
我ながら情けない声だとは思ったが、なりふり構っている場合ではないのだ。
このままでは二人揃って的にされかねない。
「………」
大佐は眉を寄せ不機嫌さを表したが、一応動いてくれる気になったらしい。
のそりと上体を起こす仕草はどこか大型の猫族をほうふつとさせる。
小さく伸びとあくびをして、まだ寝ぼけているのか首を傾げこちらに視線を向けた。
「…よくここがわかったな」
ここならば見つからないと思っていたのに。そう呟く様が先程の寝顔同様余りにも子供じみていて。
抱きしめたくなるのを理性で抑えつける。

――こんな時、この人はズルイと思う。どう考えてもわかっていてこちらの理性を試しているとしか思えない瞬間があって。
でも、わかっていてやっている訳ではないと知っているだけに手を出すことは躊躇われ、結局衝動を抑え込むしかない。
おそらく時折見せるこれが、彼本来の素の表情で。
そして、信頼できる相手にしか見せないその姿が、存在が、どれだけ俺を支配しているのか。多分この人はわかっていない。
だから、やはりズルイと思う。

「だって、アンタわかり易い所に居るじゃないっすか」
そう言ってやれば。
「そんなことはない。中尉ですら私を見つけるのは難しいのだぞ」
むっとして眉を寄せる。
ああ、もう。わかりました。降参です。
心の中で白旗を上げて。
「んなことで威張らんで下さい」
呆れた声を出して、大げさにため息をついてやる。
「…何故いつもいつも見つかってしまうんだ?」
おかげでゆっくりサボれない。不機嫌そうにそんな事を呟く上司に、さらにため息をこぼしそうになるのを堪えて。
「サボらんで下さいよ…」
言ったところで聞きはしないだろうが、一応注意だけはする。
こんな面倒な相手、切り捨てられるなら切り捨ててしまったほうが楽だろうに。
「…まあ、あれっすね」
結局、自分はどんな事があっても――たとえどんなに腹を立てたって――最終的に彼の決定に従い、彼の望みを叶えるために従事するのだ。
それを何と言うのかは、誰に指摘されずともわかっている。
「なんだ?」
興味深々なのを悟られないように平静を装った声がなんとも愛らしい。
そう思ってしまう時点でもう充分すぎるほど自分は末期なのだと思う。
「帰主本能ってやつですよ」
おそらく。たぶん。絶対に近く。この直感にはそんな名が付くのだと。そう思う。
俺はこの人が愛しくて大切で仕方ないのだ。それこそ、一生この人について行こうなどと思ってしまうくらいに。
だから、結局は、そういうことなのだろう。
「なんだそれは?」
「犬は行ったことのない場所に居るご主人様の元に帰ることが出来るんだそうです」
だからあんたの居るところならわかるんです。
「お前は犬か」
「だって番犬でしょ?」
「ふむ」
さも当然のように返す俺に。大佐は眉を寄せしばし考え、何かに思い至ったらしい。
やけに真剣な顔――そのくせひどく意地の悪い気配を覗かせてはいるが――で問いかけてくる。
「…私はお前の主人か?」
「ご主人様でしょ?」
違うんですか?そう逆に問うてやれば。
「私の犬にしてはずいぶんと駄犬だな」
はっきりとした答えでこそないが、その声は嬉しげに弾んでいる。
子供のようだな、まるで。
そんな失礼なことを考える。
「でも、あんたの命令には忠実ですよ」
「そうか?」
時々言うことを聞かないじゃないか。そう文句をこぼす、可愛げのない嫌味を込めた声すら愛しい。
「それはあれです。犬だってご褒美がなきゃ働く気もなくなります」
わかってますか?ちゃんと御自分で餌を与えなきゃダメなんですよ?
笑って頬に手を伸ばして、微かに触れる。
温かい、生きている事を伝えるその熱に心が震える。
「よかろう」
不敵な笑みを浮かべ、顔を寄せてくる。
圧し掛かるその体重を受け止めて。

――ああ、もう。
思わず目を瞑って唸ってしまいたくなる。
どうしようもなく愛しいのだ。この、尊大で自分勝手で、そのくせどこか危うく脆い主人が。
たぶん、この世で一番愛しいのだ。

触れるだけの軽い口付けをご褒美と称す主人の額に。
俺も、小さなキスを贈った。
















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