閑話休題。

※旧サイト日記SSSS。タイトルに意味はありません。









閑話休題。11


「…ここは…」
ハボックは小さく呟いた。
目に映るのは白い天井。
「起きたか」
声をかけられそちらを見れば、ロイが居た。
不機嫌そうな顔で睨まれて首を傾げる。

――何かしただろうか?

そう思うが、分からない。
上官の不機嫌の理由は分からないが、取りあえず起き上がろうとしたハボックを。
ロイの手が止める。
「寝ていろ」
「でも…」
仕事終わってないはずなんですが。
そう言ってなおも起きあがろうとする身体を、ロイは力任せにベッドに押しつける。
「また過労で倒れられたら困るだろうと言われた」
「…俺、倒れたんですか?」
「ああ」
「………」
「………」

――ああ、そうか。

漸く、ハボックはロイの不機嫌の理由を理解する。
「…心配したぞ。いきなり倒れるから」
そっと、手を伸ばしてロイの頬に触れて。
「…すみません」
そう口にすると。
ロイは顔を歪めて、頬に触れるハボックの手に、己のそれを宛がった。
泣きそうな表情をさせてしまった。
その事にハボックは酷く後悔した。
「心配、したんだ」
「…ごめんなさい」
「………」
「俺は、アンタを置いていったりしないから」
だから、そんな顔をしないでほしい。
「絶対だぞ」
強い口調で言われ、ハボックは言葉に詰まる。
それは、絶対とは決して言えない言葉なのだ。
それはハボックも、たぶんロイもよく知っている事で。
でも、それでも。
ロイはそう言わずにはいられなかったのだろう。
それがよく分かるからこそ、ハボックは困ったように笑って。
「…善処します」
とだけ答え。
ロイは眉を寄せてその言葉に頷くだけだった。


ヒューズ准将殺害事件から、ちょうど一ヶ月が経とうとしていた。




閑話休題。12


「ちょっ、大佐。返してくださいよっ」
そう情けない声を上げるハボックに、ロイは楽しそうに笑うだけだ。
その手には火が着いたままの煙草が摘ままれている。
「禁煙、という言葉を知っているかね」
性質の悪い笑みを浮かべてそんな言葉を口にする上司に。
ハボックは嫌そうに顔を顰めた。

”禁煙”
それはハボックにとって最も縁遠い言葉だ。
まず不可能。
もし、職場が全面禁煙になどなったら仕事を辞めてしまおうと思う程、彼にとってそれは不可欠なものなのだ。

「大佐、返して下さい」
手を差し出すハボックに、ロイは煙草を弄ぶだけで返す様子はない。
それどころか。
「健康を考えるなら禁煙すべきだぞ。周りの人間にも有害なのだしな」
とまで言ってくる始末だ。
「勘弁して下さいよ…」
それ無しじゃ俺半日ももたないんスよ。
手を伸ばして取り返そうとするが、ひょいっと交わされてしまう。
なんとなくむっとして尚も取り戻そうとするハボックと、あくまで返す気はないらしいロイ。
大の大人がやる事じゃないと思える程低レベルな争いが無言で行われている。
暫くの攻防の後。
「何なんですか…」
やけに絡む上司に、さすがのハボックも手を止めた。
ついでに、浮かした腰を椅子に戻す。
煙草を取り返したい――何しろ最後の一本なので――とは思うが、ここまで絡まれれば何かあると思うのが普通だろう。
しかし、ロイはそれには答えず、
「…ニコチン中毒か」
そう言って手の中の煙草とハボックを交互に見て溜息をつく。
「はあ。そうかもっスね」
だから返して下さい。
「…ふうん」
「…なんスか」
ロイは眉を寄せて何事か考える仕草をし、ハボックはそれに首を傾げるが。
この上司の思考回路が普通でない事はよく知っているので理由を追求する気にはなれなかった。
「いや、口寂しいだけなら飴とかでもいいのだろうが………いっそしばらく入院するか?」
話が飛躍しすぎだが、その意味を正しく捉えたハボックは心底嫌そうに項垂れた。
「…勘弁して下さい。ニコチンが抜ける前に禁断症状で死にそうっスよ」
訴える声は真剣そのものだ。
恐らく本気でそう考えているのだろう。
その表情と声に笑って、ロイも頷く。
「確かにな」
お前には無理そうだ。
「だが、これなら変わりになるんじゃないか?」
ひょいと。
軽い動作で自分の唇とロイのそれが触れ合う感触に。
ハボックの思考は停止した。
「………」
「どうだ?」
くすくすと笑うロイの表情は悪戯が成功した子供のそれで。
実に楽しそうだ。
「………あー…それは…煙草より質が悪いデス…」
一発で禁断症状が出ちゃいますって。
そう言って困ったように頬を掻くハボックに、更にもう一度。
今度はちゅっと音を立てて為されるキス。
「手放せないだろう?」
問う声はからかう表情に似合わない真剣さを帯びていて。
ああ。とハボックは納得する。

――つまり、あれだ。

煙草に嫉妬したわけだ。
態度の割にはずいぶんと可愛い理由に苦笑し。
「…なんつーか…際限なく欲しくなりそうで、どんなドラッグよりも厄介な気がするんですけど」
そう言って顔を寄せてやると。
彼は満足そうに目を細めてハボックの耳元に囁きかけた。
「欲しがればいい。くれてやる」
「……では、遠慮なく」
答えに頷いたロイの指が、脇にあった灰皿に煙草を押しつける。
消えていく火を目にしてもそれをちっとも惜しいと思わない。
そんな己の現金さにハボックは苦笑した。





閑話休題。13


「じゃ、俺そろそろ帰りますね」
そう言って、いまだ眠たげに目を擦っているロイの頬にキスをして。
ハボックは上着に手をかけた。
「…もう行くのか?」
ロイは眉を寄せてハボック見を上げる。
まだハボックの出勤時間まで三十分以上ある。
既に自分と共に朝食は済ませているのだし、そんなに急ぐ必要があるとは思えなかった。
「一度家に寄って着替えてから行くんで」
その言葉に。
ロイはますます不満気な顔になった。

ロイから見たハボックは、頭の回転もよく優秀な人間なのだが、どこか抜けている。
普段は無遠慮にずかずかとロイのテリトリーに上がり込むくせに、変なところで遠慮深く。
そして、ロイの本心を読む事に長けるくせに、肝心なところでそれが発揮されないのだ。

「今から帰ると丁度いい時間なんですよ」
また、司令部で。
そう言って笑いながらもう一度。
今度は額に優しくキスを落とされて。
ロイは衝動的に彼の胸倉を掴み、引き寄せていた。
噛みつくようなキスに戸惑うハボックを睨みつけて、唇を離して一言。
「お前は全然分かってない」
それだけ口にする。
それに対して、ハボックはきょとんとして首を傾げた。

――やっぱり分かっていないな。

ロイは苛々した気持ちのまま、彼を抱きしめる。
自分ばかりが彼を好きなようで、とても癪だった。
でも言わなければ絶対にこの男には通じない。
だから。
「…ここに着替えを置いておけばいいだろう」
そう、ぼそりと呟くように言うと。
それまでおとなしく抱きしめられていたハボックがばっと顔を上げてロイを見た。
酷く驚いた表情でまじまじと見つめられて。
ロイは居心地が悪くなり腕を解いて彼の身体を解放した。
「なんだ…私は間違った事は言っていない…はず、だぞ?」
つい疑問調になるのは余りにじっと見つめられているからだ。
青い、きれいな空色にこうまでまっすぐ見つめられるとさすがのロイもたじろいでしまう。
「…いや。アンタ、そういうの嫌いだと思ってたんで…」
まさかそんな言葉を貰えるなんて、思ってもみなかったんです。
そう言うハボックにロイはむっとした。

確かにハボックの言う事は事実だ。
貰ったものを家に置くような事はしないし、他人を家に入れる事自体滅多にない。
入れるとしてもせいぜい中央の親友くらいなものだ。
だからこそ。
どれ程自分が特別扱いされているのかまるで分かっていないハボックに。
ロイは腹が立つのだ。

「お前のものなんだから、嫌なわけがないだろう」
不機嫌な顔のままそう言うロイに、ハボックは更に目を見開いて。
それから、とても幸せそうに微笑んだ。
ロイの頬に手を伸ばして触れて。
「じゃあ、お言葉に甘えていいですか?」
そう、表情と同じ幸福に満ちた声で問うハボックに。
ロイは「当たり前だ」と返して、与えられる温もりを受け入れた。





閑話休題。14


「…怒っているか?」
そう真剣な顔で聞かれて。
ハボックは何を問われたのか分からず首を傾げた。
「はあ…ところでサイン貰えません?」
「怒っているのかと訊いている」
「…俺としてはそんな事よりサインの方が重要なんですけど」
これ終わらないと帰れないんですよ。
噛み合わない会話に、ロイは苛々しながらろくに見ずに差し出された書類にサインする。
「…ほら」
「どうも」
突き返すと受け取って確認して。
汚いなぁと呟く。
余計なお世話だ。
そう思ったが、ロイの心にはそれを言及するより大事な事があったので特に何も言わず。
席に戻ろうとするハボックの腕を掴んで引き止めた。
「で?」
「…?…何がスか?」
首を傾げる仕草にごまかすような気配はない。
それはつまり、彼が本当に覚えていない事を意味していた。
「…ハボック…」
低く呻くような声を出す上司に。
さすがにハボックも何かまずい事を言ったと気付いたらしい。
視線を宙に彷徨わせ、考える事暫し。
「ああ…あれっスか?…怒っているのかってやつ」
「そうだ」
漸く思い出したらしい部下に、ロイは大きく頷く。
まったく鳥頭め。
そう心中でのみ罵って、ロイは真っ直ぐにハボックを見詰めた。
「で?どうなんだ?怒っているのか?」
「それ、俺が…ってことですよね?」
「当たり前だろう」
でなければなんでお前に聞くんだ。
踏ん反り返ってそう言うロイに、ハボックは「一体何だって言うんだ」と少し(実際はかなり)呆れた。
大体、主語も何もない”怒っているのか”の一言だけで全てを理解しろと言う方が間違っている。
彼の問いはどうにも説明が足りな過ぎるのだ。
「はあ…とりあえず、誰に対して怒ってるって言うんですか?」
「私にだ」
「…………」
「どっちなんだ!怒っているのかいないのかはっきりしろっ」
「何なんですか…一体…」
普段からは想像もつかない真剣さを見せるロイに。
ハボックは困ったように眉を寄せて、上司がそんな事を言い出した原因を考える。

勿論、些細なものが殆どではあるが、この上官に怒りを覚えることは多い。
ただ、その多くがその時々の彼女をロイにとられて覚える感情で。
でも、本気で怒るには至らないのだから大した問題じゃないのだろうと、何処かでそう考えていた。
だからこそ。
普段ハボックの心情などお構いなしに行動するロイがそこまでしつこく聞いてくる理由が分からないのだ。

「怒ってるって言えばいいんですか」
「…そうじゃない」
「…だったら何なんですか」
「………」
埒が明かない。
互いに思ったその時。
「…おい、ハボック。お前また振られたのか?」
そう声をかけてきたのはブレダだった。
ハボックは上司とのよく分からない会話は放置して、同僚に目を向ける。
よく知っているな、と考えて。
そう言えば今朝方出勤時に司令部の敷地に入ろうとした時の事だったかと思い出した。
「…んー…振られたって言うか、あなたと私じゃ合わなかったのよ、それじゃ…で終わりだったから…あ、やっぱ振られたのか」
そうかそうかと呟き納得するハボックに、周りにいた人間が激しく脱力する。
「…鈍いぞ、お前」
皆のその心を代弁するかのように言うブレダに、当の本人はさして気にした様子もなく。
その場にいる者は首を捻る。
今朝の一幕は出勤時間だったせいもあり、目撃した者も多く噂になっていた(しかも大佐がどうとかという内容だったらしい)ので。
誰もがハボックはいつものように嘆いていると思ったのだが。
「う〜ん…だってなぁ」
そう唸る彼からは、いつものような落ち込んだ気配は感じられない。
「なんだよ?」
「自分と大佐のどっちが大事なんだって聞かれても俺としては困るって言うか…」
眉を寄せ本気で困った顔をしてみせるハボックに。
ブレダは――内心、比較対象が仕事じゃなく大佐かよ、と思いつつ――、
「…おいおい…まさか大佐って答えたんじゃねぇだろうな…あ、大佐が悪いって訳じゃないですぜ」
と訊いた。
口にした途端睨み付けてきた上司へのフォローも忘れない。(フォローになっているかどうかは別としてだが)
「………」
ロイは黙って――大変不機嫌そうに眉間に皺を寄せてはいたが――その視線をブレダからハボック移した。
当のハボックは首を傾げて先程の同僚の言葉を反芻している。
そして少しの間を置いてから、思い当たる事があったのか頷いた。
「…似たような事は言ったけどな」
「なんて?」
「比べようがない」
問われあっさりと言った彼の言葉に。
その意味を正しく理解して、ブレダは納得した。
「…ああ、そりゃ振られるわな」

彼女がどういう人物かなど知らないが、女性と言うのは時に想像以上に鋭いものだ。
特に、恋愛に関しては。
だから。その言葉がどういう意味を持つかくらい察する事が出来たのだろう。
つまり――”比べようがない”くらい、ハボックにとって大佐の存在が大きいのだと。

「そうか?」
だって俺は大佐の護衛なんだぜ?
首を傾げるハボックは至って真剣で。
だからこそブレダは呆れてしまう。
「女は自分を一番だって言ってくれる奴がいいもんだ」
まあ、そうじゃない女もいるだろうけどよ。
「そうか」
「おう」
ふうんと、分かったのか分かっていないのか微妙な返事をして。
ハボックは一頻り何事か考えていたが。
「じゃ、俺当分彼女はいらないかな…」
「おいおい…」
そう、呆れるしかない結論を出したハボックに、ブレダはそれでいいのかよと脱力した。
尤も、言ったところでどうなるものでもないのであえてそれ以上突っ込みはしなかったが。

「あれ、大佐?質問の答えはもういいんスか?」
いつの間にか書類に向き直った上司に気付き、ハボックが問う。
あれだけしつこかったのにもういいのかと思ってのその問いに。
「ああ、もう行っていいぞ」
妙に機嫌良くロイは頷く。
それに首を傾げつつ。
「…はあ。じゃ、失礼します」
ハボックはそう言って自分の席に戻っていった。

――鈍い。鈍すぎる。

その場にいる――今まで沈黙を保ってきた――フュリーを除く面々は皆そう思った。

ロイが、ハボックが自分に対して怒っているのではないかと懸念して聞いた言葉をハボックは単純な質問としか捉えなかったようだ。
あまりにもストレート過ぎる(修飾も何もない)言葉は、本来望んだ回答を得る機会を逸してしまう結果になったのだが。
ロイは思わぬ所から望んだ以上の答えを引き出せて大変満足したらしい。
ハボックの現在の最優先事項は”彼女”ではなく”自分”だと、怒っていないという事実と共に確認できたのだ。
(そんなに心配ならハボックの彼女を取らなければいいじゃないかと思うのだが、ハボックに近づくものはたとえ犬猫でも許せないらしいのでいうだけ無駄だとも皆思っている。)
まあ、だからと言ってそれ以上どうこうなるわけでもないのは事実で。

どうにも。上司の恋はなかなか実りそうにないらしい、と。
その場にいた者たちは結論付けた。





閑話休題。15


「…あ、そうだ」
急に声を上げたハボックに。
少し前を歩いていたロイは立ち止まった。
振り返ったその表情は「一体何なんだ」と語っている。
そのあまりの分かりやすさに内心笑いを堪えながら、
「今日の晩飯何にします?」
帰りに買い出し行って来るんですけど。
と、ハボックは普段とまるで変わらない声音で聞いた。
その問いに――ハボックの内心には欠片も気付かず――ロイは首を捻る。
その様子に何事かと思えば、眉間に皺を寄せ、何やらぶつぶつと呟いている。
「…………」
小さな声なので注意しても僅かしか聞き取れなかったが、どうやら料理の名称を呟いているらしい。
その恐ろしく真剣な顔に、ハボックは呆れた。
そこまで拘る事でもないだろう。
「…いや、そんなに真剣に悩まれても困るんですけど」
そう口にしてみたが、一度集中してしまったロイを止めるには至らず。
廊下でぼんやりとたたずむ羽目になってしまう。
当然、通りかかる者が――士官、下士官問わず――好奇の眼差しを向けるものだから堪ったものではない。
もう一度、せめて執務室に着いてから考えてくれと言おうとした、その時。
ロイは唐突に俯けていた顔を上げ、ハボックを真剣な眼差しで見詰めてきた。
そして、その口から紡がれたのは。
「…ハンバーグとオムライス」
の一言(?)だった。
聞いた瞬間、ハボックは激しく脱力してしまう。
真剣に考えた挙句出てきた言葉は『ハンバーグとオムライス』。
なんともお子様な感じのする取り合わせに、アンタは10歳未満のガキですかと言いたくなってしまう。
そんなハボックの様子に何か感じるものがあったのだろう。
ロイはむっとした顔で脱力したままの部下を睨みつけた。
「…今何を考えた、少尉」
「いや…まあ」

――言えねぇ。言ったら燃やされる。

低く平坦な声に、ハボックの表情が引き攣る。
彼の上司兼恋人は甘えたがりの癖に子供扱いを酷く嫌う。
もし考えた事が知れたらお得意の焔で焼かれるのは必至だろう。
何でもないですと首を振るハボックに険しい視線を向けたまま。
ロイは尚も追求する。
「言ってみたまえ」
「…ははは…」
「言えないような事を考えたのかね?」
「いや、その」
詰め寄られて僅かに引けば、その分また間を詰めてきて。
ハボックは逃げ場を探したがそんなものは元よりありはしなかった。
あれほどあった人影も不穏な気配を察したのか何処にも見当たらない。
そうこう考えているうちに壁際まで追い詰められて。
ハボックは、困った、と心の中で溜息をついた。
「………ハボック」
低く、剣呑な気配を纏う声が問い質す。

――ああ、くそっ…どうするか。俺は本当の事を思っただけなのに…

「大体、別にアンタがお子様味覚なのは今に始まった事じゃ……あ」
内心の呟きはいつの間にか声として漏れていたらしい。
そのハボックの本心に、ロイはすっと目を細めた。
「ほう」
ハボックは怯えたように、これ以上下がれないと知りつつも後ずさる仕草をする。

こういう時のロイは怖いと素直に思う。
だが、その姿は普段の態度からは想像もつかない程に怖く、そして魅力的でもあるのだ。
真剣さの中に獲物を弄ぶ野生の獣のような、そんな表情を見せるその様が。
確かに怖いが、ある種きれいな怖さだと。
ハボックはこんな状況にもかかわらずそう感じた。

こくりと唾を飲み込み硬直する部下から。
ロイは意外にもあっさりと離れる。
「ふん」
まあいい。
「ハボック少尉」
「はい」
上官としての呼びかけに、ハボックは反射的に姿勢を正した。
その様子に楽しげに笑って。
「今日のメニューにプリンを加えたまえ。今回はそれで許してやろう」
上官の口調で、非常に個人的な内容を口にするロイに。
ハボックは一瞬固まった。
「………」
…プリン…ですか。
そう言いたかったが、もし言えば今度こそ燃やされるだろう。
その光景は想像に難くない。
答えないハボックを不信に思ったロイが首を傾げる。
「少尉?」
返答を求める呼びかけに、ハボックは漸く現実に思考を引き戻され。
あいかわらず真剣に――先程とは意味合いが違うようだが――自分を見詰める眼差しに小さく苦笑した。
「プリンですね。了解っス」
その返答に満足げに頷いて。
ロイは行くぞと手で示してから歩き出し、ハボックは苦笑したままその後に続いた。





閑話休題。16


「大佐ってかなり偏食っスね」
ロイの昼食の皿を覗き込んで、ハボックは開口一番そう呟いた。
現在彼らが居る場所は東方司令部内にある食堂で。
丁度混み合う時間帯だった為、ハボックは佐官用のテーブル――どうせ使う奴なんか自分の上官位しかいないのだから使ったっていいじゃないか、とハボックは思っている――までやって来たところだった。
そして偶然。極稀にだが食堂を利用するロイの姿に気付き、彼のプレートを覗き込んだわけだ。
「こんなものを食べられる奴の気が知れん」
そう言って、端に寄せてあったピーマンを更に隅に寄せるロイにハボックは呆れた。
「…何どっかの子供みたいな事言ってるスか」
「………何が言いたい」
むすっとした顔で睨み付ける上官を気にした様子もなく。
ハボックは自分の皿をさっさと隣の席に置いて座る。
「別に。ただ、成長期は過ぎてると言っても栄養の面から行けばこの残し方はまずいでしょ」
元々少なめだったのだろう皿の上には香草系の野菜を中心に、所謂子供が嫌うような類のものがかなりの量残されている。
「…食べたくない」
拗ねた口調でそう訴えるロイは、どう見ても図体のでかい子供だ。
「旨いのにもったいないですよ」
「…ならお前が食べればいい」
名案だとしきりに頷くロイに、ハボックは今度こそ本気で呆れ返った。
本気で子供ですか、アンタは。
と内心で呟く。
「…食べませんよ。それはアンタの分でしょ」
「ハボックの癖に生意気だぞ。上官の命令が聞けないのか」
「そんなアホな命令聞きたくないです」
「軍法会議にかけるぞ」
「どうぞご自由に。因みに理由は何と説明する気で?」
まさか嫌いなものを代わりに食べろと命じたら拒否したのでって訳にもいかんでしょ。
「………」
呆れた表情でさらりと言い切られて、ロイは漸く黙り込んだ。
確かにそんな理由の書類は提出出来ないし、大体ハボックを会議にかける気などないのだ。
結局。圧倒的に不利な状況でロイは不満気に唸る事しか出来なかった。
そんなロイを横目で眺めつつ、ハボックは小さく溜息をつく。
「…よく今まで生きて来れましたねぇ」
「………」
ここまで偏食でよく成長できたものだと感心してしまうハボックだったが。
かと言ってこれからも同じ食生活を続けさせるわけにはいかないとも考えた。
その結果、ハボックの口から出た言葉は。
「なんだったら俺が作りましょうか?大佐の飯」
で。
ロイはその提案に目を見開き、横に座る男をまじまじと見つめてしまった。
予想もしていなかった展開に頭がすぐについて来なかったが。
何とか確認の言葉だけは口にする事に成功する。
「…いいのか?」

ロイは一度だけ食べたハボックの料理――作り過ぎたので差し入れたらしい――の味が忘れられなかった。
嫌いなもののはずなのに中尉に食べてみるかと聞かれ応じた手前「これは嫌いだ」とは言えず一口齧って。
あまりの美味しさに、気付けば差し入れの殆どを自分が平らげてしまった程だった。

「アンタが良ければ」
そう言って優しい微笑みを浮かべる部下に一度だけ頷いて。
ロイは喜んでいるのを悟られないように極力抑揚のない声で、
「…期待している」
とだけ言う。
その様子に。
とっくにロイの本心に気付いているハボックは素直じゃないなと思い苦笑した。
「了解っス」
でも。
「これは食べてくださいね。こっちは貰ってあげますから」
そう言って、ちょいっとピーマンを摘まんでみせるハボックに。
ロイは『これ』と指された野菜を前に苦渋の表情を浮かべ低い唸り声を上げた。





閑話休題。17


だいぶ秋も深まったある日。
休憩を取る為に訪れた中庭で、ハボックは見慣れた黒髪の人物を見つけた。
大量の落ち葉を前にしゃがみ込んでいるその姿に首を傾げる。
「何してるんすか、アンタ」
「ハボックか」
近付いて声をかけるハボックに。
ロイは振り向きもせずにそう言い、ごそごそと何かを落ち葉に埋めていく。
「…サツマイモっスか?」
背中越しにちらりと見えたそれはサツマイモらしい。
答えもせずに熱心に芋を埋めていくロイに。
ああ、そうか。とハボックは納得した。
彼は先日焼き芋が食べたいとごねていたのだ。
もう少し待ってくれと言ったら不満気な顔をしていたのを覚えている。
恐らく、どこかから調達してきて自分で焼こうとしているのだろう。
そんな事をハボックが考えているうちに、ロイは仕度を終えたらしく立ち上がった。
少し下がった位置に移動し、軍服のポケットを探る段になって。
ハボックは漸く彼の行動を理解し、そして慌ててその手を掴む。
「幾らなんでも発火布を使う必要はないでしょうっ」
マッチかライターを使った方が確実です。
そう訴えるがロイはむっとした顔で首を振っただけだった。
「大丈夫だ。大体それではすぐに食べれんだろうが」
「アレはじっくり焼くもんだと思いますけど」
「私は今すぐ食べたい」
ハボックの主張はロイの前では意味を持たない。
ハボックもそれを悟り、溜息をついて腕を放した。
「……どうぞ」
「うむ」
鷹揚に頷き、ロイは発火布を装備し構え――何故構える必要があるのかはハボックの預かり知らぬ事だ――、そして指を擦り合わせる。

――ボッ

赤い焔は瞬時に落ち葉を燃やし。
ある程度予測はできる事だろうが、あっという間に灰に変えてしまった。
嵩の減ったその中には炭化したサツマイモ(だったのだろうもの)が確認できる。
「…………」
「…あー…まあ、当然の結果って言うか」
「…………」
非常に不機嫌な顔でたたずむ上官に。
ハボックはその後十分強に渡りフォローに苦しむ破目になるのだった。



おまけ?

「少尉、これをどうぞ」
ひょいと机の上に置かれた新聞に包まれたものに。
ハボックは首を傾げ、それを置いた当人――リザを見上げた。
「何スか?」
問うと彼女は困ったように笑う。
「サツマイモよ。大佐から半分貰ったものだから」
「…あー…ひょっとして、最初から結末を見越してました?」
「ええ」
そんな会話をしながら、副官二人の視線は不機嫌も露わに書類を片付けているロイの姿に向けられる。
たかが焼き芋一つでああなる上官に二人は呆れた。
「今日はお芋の料理を作ってあげて」
「でも焼き芋だけはタブーな方向で?」
「そうね」
くすくす笑う二人に気付く様子もなく。
ロイはやつあたり気味に仕事を続けていた。





閑話休題。18


目が覚めた時に誰かが隣で寝ていれば、誰だって驚くだろう。
それが自分の上司ならなおさらだ。

「大佐ー…起きてくださいよー」
声を掛けてみるが反応はない。
目が覚めた時、何故か俺――ジャン・ハボック、階級は少尉だ――の腰に両腕を回して。
大佐が熟睡していた。
そりゃ、勝手に(上司がサボっていたせいで)無人の執務室で寝ていた自分も悪いが。
この状況は如何ともし難い。

この上司が俺を好きなのは知っている。
本人の口から聞いたことはないが、態度がそう示していて。
俺だってこの人が好きだけど、上司と部下の一線を越える気はないから。
だから、困るのだ。

「大佐、起きないと中尉が」
「あら、私がどうかしたかしら?」
「うわっ」
急に掛けられた声に。
思わず大声で叫んでしまった。
が、大佐が起きる気配はなく。
しょうがないなと思いつつ視線を移すと、少し離れた所に中尉が居た。
「中尉…いつから居たんですか」
「貴方が起きる前からよ」
「………俺、弛んでるかも知れないっス」
「そうね」
頷く彼女に、俺は項垂れしかない。
いくら大佐に気を取られていたとはいえ、気付かなかったなんて護衛としても軍人としても失格だ。
「何で起こさなかったんスか?」
書類、山積みでしょうに。
「最近忙しかったからかしら」
「………はぁ」
確かに忙しかった。
事件が頻発して収拾がつかない上に、上から回された書類――勿論嫌がらせだろう――が山ほどあって。
ここの所、寝る時間さえろくにとれなかったのだ。
俺だけでなく殆どの奴がそうだったのだから、大佐はもっと忙しかったはずだ。
そう思って、よく見れば疲労の色の濃い大佐の顔を眺めていたら。
中尉が近づいてきて、大佐を覗き込む。
くすりと笑ってから、彼女は俺に視線を向けた。
「それに」
「?」
「こんなに幸せそうに眠っているのを見ると、起こせないでしょう?」
「…………」
確かに。
大佐はこの上なく幸せそうな表情で眠っている。
「はあ」
…だから複雑なんだ。
心の中でだけそう呟いた。





閑話休題。19


「………大佐」
「なんだ?」
名を呼ぶと、大佐が面倒そうに振り返る。
それを確認して、俺はずっと疑問に思っていた事を口にした。
「アンタって雪の日でも無能ですか?」
「………ハボック」
「あ…ええっと…大佐が無能だって言いたいわけじゃなくて…」
あ、もう言ってるか。
「どうやら消し炭にされたいようだな、ハボック」
すっと目の前に差し出された右手は既に発火布を装備済み。
睨み付けてくる目も半分以上本気だ。
「遠慮します」
必死でふるふると首を振ってみせると、呆れたような目をして手を下ろす。
「…まったく…大体何でそんな事を聞くんだ」
「だって、もうすぐ雪が降るじゃないですか」
「……ああ、そうか」
もうそんな季節か。
そう言って一度空を見上げてから、大佐はくくっと笑った。
…何を思い出してるのやら。
まあ、何となく想像はつくけど。
「また雪掻き頼むぞ」
私も手伝ってやる。
そう言って、にやりと笑うその顔に。
ああやっぱりと思う。
「…はいはい、分かってますよ」
(…でも出来れば手伝わないで欲しいんですけどね…)
そう本気で思ったが、逆らうだけ無駄なので頷いて。
去年の災難を思い出して、俺は頭を抱えたくなった。





閑話休題。20


一週間振りに訪れた上司兼恋人の家は空き巣に入られたかの如く物が散乱していて。
ハボックは脱力感を覚えながら、それでも掃除に取り掛かった。





――その数時間後、書庫での事。


ぱたぱたと歩き回る足音に、ハボックは床に座ったままそちらを見やった。
そこには何をするでもなくただ――動物園の熊か何かのように――歩き回るロイの姿があって。
ハボックは僅かに眉を顰めた。
落ち着かないのだろうか。
ロイは始終不機嫌な顔で、椅子に座ってみたり壁に寄りかかってみたりした後、結局その場を離れて別の場所へ移動していく。
「大佐、手伝わないんならせめて何処かに座ってて下さいよ」
あまりうろうろされちゃ、俺の方が落ち着かないっスよ。
呆れてそう言うハボックに、ロイは漸くうろつくのをやめて彼の顔を見た。
「………」
何故か酷く不満気な表情だ。
そんな顔をされる理由が分からずハボックが首を傾げていると。
ずんずんと近付いてきたロイはそのまま彼の後ろ側にまわり。
そして、その場――ハボックのちょうど真後ろだ――にすとんと座り込んだ。
わざとらしく背中にかけられる体重に、ハボックは小さく苦笑して。
それからそのまま手近な本を拾って重ねる作業に戻る。
床に山を作っていた本を退け、種類別――何度も片付けているので何となく分かるようになった――に分けていき。
手の届く範囲の本をすべて分別し終わって、今度は本棚に戻そうと思った時。
ハボックはそこで漸くロイが自分に寄りかかった意図に気が付いた。
素直じゃないのはよく知っているが、こういう表現は判断がし難いのでやめて欲しい。
ぱらりとページを捲る音に、ハボックはそう思いながら軽く溜息をついた。
背中に感じる重みに声をかける。
「大佐、どいてくれないと片付けが出来ないんスけど」
「………」
予想どおり答えはない。
ただ、自分の言葉と同時にロイの身体が僅かに緊張したのは背中越しにも感じられ。
ハボックは相手に分からないように小さな笑みを零した。
「大佐」
「………」
「たいさー」
「………」
何度呼んでも答えはなく。
ある意味徹底したその姿勢にハボックは呆れつつも少し感心してしまう。
絶対にそういう事を自分からは言い出さないタイプではあるが、もう少し素直になったほうがいいのにとも思う。
だけど、そんな彼だからこそ守りたいと思うのかもしれないと、そうも思うのだ。

複雑なようで単純。
単純なようで複雑。
分かり難い部分も多い反面、こんな風に意外な程幼く拙い表現で気を引こうとするのが可愛い。
29歳の、しかも男にそう感じる時点で自分は相当重症だと思い、そんな自分に呆れる事もある。
それでも。
ハボックにとっては、こんな風にしか甘える事ができないこの存在が他の誰よりも大事なのだ。

ハボックがゆっくり背を退けると、ロイは振り向いて視線を彼に向ける。
どこか縋るようなその眼差しに苦笑して。
ハボックは今度はロイの方に向いて、自分より小さいその身体を抱き込むように座り直した。
「アンタね」
構って欲しいんなら素直にそう言いましょうね。
耳元でそう囁くと、今まで向けられていた視線が逸らされる。
「………」
相手の上着の裾をぎゅっと掴む手とは逆に、強張っていた身体の力を抜いて。
ロイはハボックに体重を預け、背中越しの体温に安心したように目を瞑った。
「…お前は私だけ見ていれば良いんだ」
ぽつりと呟くようなその言葉に、ハボックは一瞬目を見開いて。
それから、苦笑とも微笑ともつかない笑みを浮かべて、腕の中の愛しい温もりを抱きしめた。


















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