閑話休題。

※旧サイト日記SSSS。タイトルに意味はありません。









閑話休題。1


「ジャクリーン」
後ろから呼びかけられたその言葉に。
ハボックはいい加減うんざりした。
「…あのですね、大佐」
「なんだね、ジャクリーン」
「………」
いやがらせと言うよりは、単純に気に入ったというところだろうか――もちろんいやがらせの意味も含まれているだろうが。
事の外、この呼び方が気に入ったらしい上司はあの作戦からそれなりに経っているというのに思い出したようにその名を口にするのだ。
「アンタね」
「だからなんだ?」
「…アンタ、分かってていっているでしょ?」
「…ふむ」
つまりこの上司は、自分がハボックにつけた名を気に入っているのだ。
そして、ハボックが結局は振り返って自分に答えを返す事もちゃんと知っているのだ。

――ああ、もうどうとでもしてくれ。

そう思いながら、ハボックは大きく長い溜息をついた。





閑話休題。2


一週間訪れなかったうちにそこは足の踏み場もないような、そんな空間になっていた。
其処彼処に散乱する本――たぶん錬金術関係のものだろう――、落書か何かと見間違えそうなメモの数々、脱いでそのままにしたのだろう服も床を占領していて。
あまりの惨状に、溜息が出た。

「……俺、この前掃除したばっかりっスよね?」
「………」
「どうやったらここまで汚せるんですかね?」
「………」
「大佐?」

俺の視線に渋々口を開いた大佐は、

「お前が…来なかったからだ」

とだけ言った。

――俺が悪いんだろうか。いや、悪いんだろうな。たぶん。少なくとも、大佐の中では。

もともと素直な人ではない。
たぶんこの惨状は――もちろんこの人の家事能力のなさも原因の一つだろうが――俺へのあてつけなのだ。
何でこんな我侭が可愛いと思えるのか。
我ながら末期だと思いながら。
それでも。

「すみませんでした」

そう謝罪の言葉を口にした。





閑話休題。3


『じゃ、行ってきますね』

その言葉に、普段と変わらぬ風を装って送り出したのはほんの三日前だ。
そう。たった三日だと言うのに。
なにかがかけたような淋しさが胸の中にわだかまっていて。
ひどく、息苦しい。
何気ない挨拶や仕草、その存在そのものが、いつの間にこんなにも日常に溶け込んでしまっていたのか。

「早く帰って来い」
犬なら飼い主を淋しがらせないよう努力してみせろ。

そんな埒もあかないことを考えながら、遠い南の空に目を向ける。


――after――


「あれ」

ノックとほぼ同時に聞こえた何とも間の抜けた声に顔を上げれば。
声同様に間の抜けた顔をした部下の姿があった。

「めずらしいっスね、大佐」
大人しくデスクワークしてるなんて。

失礼な台詞を吐きながら、許可も与えていないのに中に入ってくる。
その相変わらずやる気を感じない顔を見つめたまま。
なぜか目が逸らせないでいた。

「ご苦労だったな、ハボック少尉」

そう口にすれば。
「ありがとうございます」と、期待とは違う返事が返された。


少尉が出張で南方に行っていたのはわずか一週間だ。
わずか一週間。
それがこんなに苦痛に感じることとは、送り出した日には考えもしなかったのだ。
かけられるはずの言葉がなく、サボっても必ず探し当てて迎えにくる足音もなく、眠る自分の髪を優しく梳く温もりもない。
それが、こんなにも淋しいことだとは。
欠片ほども考えたことがなかったのだ。

「ね、大佐。俺がいなくて、淋しかったですか」
「っ」

唐突に問われた言葉に、とっさに何でもない風を装うのは不可能で。
真っ赤になっているだろう私の顔を見て、ハボックは嬉しそうに笑う。

「ただいま、大佐」

――ああ。そうだ。その言葉が欲しかったんだ。
自分の元に帰って来たことを告げる、その言葉が。

当たり前のように告げられた言葉の、それが持つ意味に幸せを感じながら。
意外に主人想いな私の飼い犬に、「おかえり」と返してやった。





閑話休題。4


「暑い」
我侭な上司の、もう何度目かも分からないその言葉に、ハボックは小さく溜息をついた。
「暑い」
しつこく口にされるその言葉は、聞くだけで暑さが増す気がする程で。
それが分かっていて繰り返しているのだから嫌がらせの意味が大きいのかもしれない。
「暑い」

――いい加減にしてくれ。

そう思いつつ。
それでも自分に向けられる視線を無視して煙草を手に取り火を点けようとするが。
その行動はあっさりと阻まれた。
発火布で覆われた手が指を擦り合わせるべく待機している。
危険物につき取り扱い注意。
そんな言葉がハボックの頭を過ぎる。
「暑い」

――火を出してさらに温度を上げようとしているくせにまだ言うか。

そう思うが口には出さず、ハボックはもう一度溜息をついて煙草を箱に戻して。
「…かき氷…作ってくりゃいいんでしょ…」
そう口にして立ち上がった。

こんなことならロイが「かき氷が食べたい」と言った時点でさっさと作ってやればよかったと、そう思った。





閑話休題。5


「………」
「大佐、手を動かしてください」
「……」
「大佐」
「………」
「…大佐。本日締め切りの分が終わりましたら後は御自由にして下さって構いません」
だから、早く仕上げろと送られる視線に。
ロイは漸く窓から意識を戻し――チラリとだけホークアイ中尉を見て――それから書類を読み始めた。
先程までの集中力に欠く姿からは想像もつかない速さで目の前の山積みの書類を片付ける、その正直さに苦笑するしかない。
「ハボック少尉も本日は定時で戻るはずですから、頑張って下さい」
中尉のその言葉に。
サインをしていたロイの手が止まる。
少しだけ眉を顰め、視線は書類に向けたまま。
「別に。ハボックのスケジュールは関係ない」
隠し切れなかったふてくされた子供のそれの様な響きが混じる声が応えを返すが。
ホークアイはその返答に少し微笑んだだけだった。

――本当に。この上司は正直でないのだ。
朝から夏祭りが催されている通り、つまり少尉がいる場所――祭りの警備を担当しているのでそこにいる――を気にして、ろくに仕事が手につかなかったくせに。

「約束なさっているんでしょう?」
「…あれが誘ってきたんだ。本当はむさ苦しい男となんか行きたくなかったんだがな」
他に約束も用事もなかったから仕方なくだ。
ホークアイからすれば言い訳でしかないを言葉を零すロイは、それでも書類から目を離さない。
態度と言葉のギャップに少し笑みを深くして。
「早く終わらせましょうね」
そう言った彼女の言葉に、ロイは書類の影で小さく頷いた。





閑話休題。6


「海に行きたい」

――このクソ忙しい時に何言ってるんだ。

それがこの場にいる人間全員の意見に違いなかった。

「ハボック、海に行きたい」
「そうですか」
「この際プールでもいいぞ」
「俺は行きたくありません」
早く終わらせないとこのままじゃまた残業確定っスよ。
周りの空気が(気分的に)下がったのも気がつかずにさらに我侭を口にする上司に、ハボックは冷たく言った。
「私が行きたいんだ」
「俺は行きたくないんです」
「「………」」
暑さを理由にサボりたいロイと。
連日の残業でそんな我侭に付き合う気力は既にないハボック。
双方とも意見を曲げる気はないらしい。
「…しかしこう暑いとだな…」
「大佐、諦めて下さい」
「………」
ホークアイ中尉の言葉に漸く黙ったロイに。

――無駄な足掻きしてる暇に書類片付けりゃいいのに。

と(言うだけ無駄なので口にしなかったが)誰もが思った。





閑話休題。7(ハボロイ)


「あ、無能だ」
俺のその一言に。
大佐の頬がますます引き攣る。
「ハボック少尉、もう一度言ってみたまえ」
「…イエ、何でもないっス」
今にも火を出しそうな勢いで睨まれた。
睨まれただけで済んだのは、大佐が水浸しで火が出せなかったからに過ぎないだろう。
「しかし、見事に引っ被りましたね」
「あんなところにバケツを置く奴がいるとは…今度から厳罰の対象にしなければな」
「つーか、それくらい避けて下さいよ」
窓掃除用のバケツの水を被って無能なんて笑えない。
いや。実際は笑えるんだが、笑うと怒るだろうし。
「大体大佐は無防備すぎるんですよ。もう少し普段から注意してないと。アンタの場合、いつ背中から刺されるかわかったもんじゃないんですから」
「そんなヘマはしない」
何故か胸を張って威張る大佐に、意識せず溜息が漏れる。
「どうだか」
恋愛のもつれで刃傷沙汰なんてごめんですよ。
そう言ってやれば。
「お前が私を刺すはずがないだろう」
と、返された。

……………は???

「あの…大佐、今のって…?」
何か今、とんでもない台詞を聞いた気がするんですけど。
「…何の事だ?」
問われて首を傾げる大佐は、どうやら自分の言った言葉が指し示す、根本的な問題が分からなかったらしい。
「あー…いや、いいです。何でもないです。はい」
本気で分かっていないらしく怪訝そうな顔で俺を見る彼を笑顔でごまかして。
思いもよらない言葉がもたらした幸福を噛みしめる。
大佐にとって『恋人』は疑う余地もなく俺だけなのだと。
口にした本人自身も気づかないほど当たり前のことなのだと、そう教えられて。
すごく、すごく嬉しかった。

「大佐、とりあえず着替えましょうか」
「うむ」
「着替え、ありますよね」
「お前が用意したやつがロッカーに入っている」
「タオルそれだけで足りますか?」
「大丈夫だ」

そんな遣り取りを交わしながら、俺はこれからもずっとこの人の傍にいたいと、そう思った。








閑話休題。8(ハボロイ)


「あれ…大佐?」
ぼんやりとした眼差しでロイを見上げるハボックに。
その場に居た者は漸く安心した。
その様子に、
「…???」
ハボックは首を捻って何故自分が床に寝ているのかを思い出そうとしたが、思い出せない。
「大佐。俺、何で床で寝てるんスかね?」
「…覚えていないのか?」
「はあ」
ロイは上半身を起こした彼の髪につく埃を払ってやり。
次いでその額に手をやった。
「いてっ」
途端に走る痛みにうめくハボック。
ロイの行動と痛みからどうやら傷があるらしいことは察したが。
それでもやはり、それができた理由には思い至れない。
「お前は私を庇って階段から落ちたんだ」
「…あー…そういえばそんな気も…」
とっさの事ではっきりとは覚えていないが。
ロイが足を踏み外したのを確認するよりも早く、手を伸ばしていたのは確かだと、ハボックは漸く思い出した。
「アンタはケガしてないですか?」
傷を負わないように包むように抱きしめてはいたけれど。
「お前のおかげで掠り傷一つないぞ」
「よかった…」
「痛むか?」
そう言って傷口に触れられて、ハボックはピリピリした痛みに顔を顰める。
「大丈夫ですけど…さすがに触られると痛いっスよ」
「む…わかった」
触れていた指が離れ、ロイは立ち上がって手を差し出す。
目の前に突き出された手に驚くハボックに早口で。
「手を貸してやる。さっさと起きろ、みっともない」
とだけ言って視線を逸らした。
「そりゃどーも」
そう答えて。その手を借りて立ち上がったハボックがロイの横に並ぶ。
素直じゃない上司に少しだけ苦笑して、行きましょうと繋いだままの手を引っ張ったが。
むっとしたらしくその手は振り払われてしまった。

「…助かった」

歩き出す寸前。
囁くような呟きで礼を言われたハボックは。
「いえ…。アンタを守れてよかったです」
それだけ言って彼の後に続いた。


ちなみに余談だが。
その場に偶然居合わせたブレダが、
――何こんな所でいちゃつてるんだよっ。恥ずかしい奴らだな、おいっ。
と思いつつ他人の振りを決め込んでいたのだが。
まあ、それはそれ、というやつである。





閑話休題。9


「…………」
今のこの状況におけるハボックの心境を一言で表わすならば、
”困った”
その一言に尽きただろう。
何故こういう状況になったのかは、己の身体に圧し掛かっている上司に聞けば分かるのだろうが。
聞く気もおきなかった。

やっと仕事が一段落ついて仮眠室のベッドに横になった後にどういう経緯があったのかは知らないが。
ハボックが目を覚ました時には、ロイが彼の上に横になっていた。
それは変な意味ではなく。
文字通りただ横になっているだけだったが、ハボックを困惑させるには充分すぎた。
大体、他に空いているベッドはたくさんある――と言うか他には誰もいない――し、ここがロイの指定席というわけでもない。
更に言えば、寝ているわけでもないようで。
にも関わらず、ロイはハボックの身体を下敷きにしているのだ。
頬をハボックの胸に擦り寄せて、どことなく満足そうな雰囲気を漂わせているロイに。
そろそろ仕事に戻らなければならない身としては起きたいところなのだが、声をかけるタイミングが掴めず寝た振りを続けている。
と言うのが、現在のハボックの状況だった。

「…ハボ」
急に呼ばれて起きている事がばれたのかと焦ったハボックだが。
どうやらそうではないらしいと気づきそのまま寝た振りを続ける。
少しだけ身を起こしてハボックの髪を撫でるロイは、やはり機嫌が良いらしく。
「そろそろ起きろ、ハボック」
そう言って、頬に触れるだけのキスをする。
「ハボック」
「…………」
「ハボック」
渋々、今起きたと言う態度で目を開けると、ロイはそれに微笑んで。
「軍人の癖に結局起こすまで起きなかったな」
弛んでいるぞ。
と言って、さっさと上から降りた。
ハボックも上体を起こしながら、伸びをする。
身体が少し痛む気がしたがそれは無視することにした。
「…ところで大佐。何で俺を布団にしてたんですか」
「っ!お前起きていたのかっ?!」
「さあ、どうでしょうね」
そうハボックが言ってやると、ロイは一瞬で耳まで真っ赤になって。
次いで非常に気まずそうな顔になり、ぷいっと視線を逸らしてしまう。
「大佐?」
「お前の能力を試してやっただけだっ!」
不合格だぞ。
そういう事にしたいらしいロイにハボックは。

――まあ。無防備に幸せそうに笑うのを見られたのだからいいことにするか。

そう考えて、
「はあ、そうですか」
と答えるだけに留めた。





閑話休題。10


大佐は朝が苦手だ。
低血圧なのか、寝汚いだけなのか(俺は後者だと思っているが)。
とにかく、なかなか目を覚まさない。
「大佐、朝ですよ」
起きてください。
そう声をかけるが、予想通り目を覚ます気配はない。
眉根を寄せて、うーと唸って反対側を向いて、それで終わりだ。
「大佐ー、いい加減起きないと遅刻しちゃいますよー」
「………」
寝返りを打って枕を抱き込む。
声は聞こえているという事だろう。
「大佐」
「………」
「たーいーさー」

……………。

どうあっても起きない気らしい。
やれやれ。
溜息をついて、俺は容赦なく大佐の布団を引き剥がしにかかった。
出勤時間まで後一時間。
大佐の朝の行動力はお世辞にも迅速とは言えないから、これ以上は待てない。
「……ハボ…後5分…」
「ダメですっ、アンタ今月何回遅刻してると思ってんですかっ」
大体、中尉は昨日の晩、俺が大佐の家に泊まった事を知っているのだ。
(夕食に何を作るかとか、明日の朝ご飯は何が良いとか話してるのを聞かれてしまったので間違いない。)
これで俺が居たのに遅刻させたとしたら。
中尉の拳銃の矛先が大佐だけでなく俺にまで向けられる事になるのは想像に難くない。
それだけは勘弁だ。
「…では…後、3分…」
「ダメなもんはダメですっ」
「後、10分…」
「増えてどうするんですかっ」
「………」
「大佐っ」
俺のかなり切羽詰まった叫びに、漸く大佐が目を開く。
ぼんやりとしているが明らかに不機嫌だと分かる表情で俺を睨む。
「…眠いんだ」
「ダメです。中尉に殺されますよ」
「中尉はそんな事、しない…」
「ものの例えです。でも死ぬほど恐い思いはすると思います」
「………分かった」
渋々、と言った様子で大佐は身を起こした。
ベッドから足を下ろし、ペタっと床に着ける。
「顔洗って、歯磨きして来て下さい」
「ん…」
こくりと頷き、立ち上がって洗面所へ向かう。
ふらふらとまだ眠りの中をさまよっているかのような足取りに、見ているこっちがはらはらした。
「大佐、気をつけてくださいよ。って、ドア開けてくださいっ」
俺は慌てて駆け寄って、危うくぶつかりそうになった身体より一足先にドアを開く。
間一髪だ。
後一歩大佐が早ければ、彼は今頃盛大に頭をぶつけていただろう。
「…勘弁してくれ」
心配で目が離せない。

この後も小さな騒動は山ほど続き。
まだ朝だというのに、俺は、大佐を無事指令部に送り届けるまでに気力の大半を使い切ってしまう事になった。


※朝の一コマ。寝起きの悪い上司に振り回されるハボが可哀想だと思いつつ…。
















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